2016年6月27日月曜日

インド鉄道の夜 -インド17日目-


今日は夜行でヴァラナシを出ます。日中だけヒマなパターンのやつですね。

昨日アップルパイ食いに行った時にアイスクリーム乗せってやつをやろうとしたんですが、売り切れだったんですよね。で、友人は何人か引き連れてそのアイスクリーム乗せをリベンジしにアッシーガートまで朝から出て行きました。(僕は遠くて暑いのでやめた)

でもそこまで朝寝はせず、宿の朝食もちゃんと食べて、散歩に出てみます。散歩っつっても今日のはちゃんと何するかだいたいは決めてるんですよ。今日の目的は楽器屋の冷やかしです。日本でもよくやりますよね。買わないけど試奏だけするやつ。あれをヴァラナシでもやってみようと思います。
目星はだいたいつけてあるんですよね。BANA LASSIとかのある商店が立ち並ぶ、ガンジスと並行になってる路地です。

バターミルクケーキとやらを買い食い
甘くて美味かったです。しかも20ルピー。店主が持っているのは「うちは先祖代々ラッシー屋で云々、美味いラッシーをお出ししてますよ云々」みたいなことが日本語で書かれた紙です。よく見えませんが。この商店が立ち並ぶ路地は特に日本語でしゃべりかけてくるインド人が本当に多いです。しかも喋りかけてくるだけじゃなくてちゃんと簡単な会話もできる。すごい。
とりあえず目星をつけている店は、バンコクのカオサンの安宿に泊まった時にマンゴーくれた方から教えてもらったマヘンドラ ミュージックスクールというお店です。その名の通りお金をとって楽器を教えることもやってるんですが、メインは楽器の販売。BANA LASSIの日本語が通じるおにいちゃんに場所を教えて向かうも、まだ開いておらず。もう11時近くやぞ...。さらに布や服を売ってるお店のおじさんが日本語で声かけてきたので楽器屋どこ?と聞くと「そこ。でもまだ閉まってる。」あーさっきのとこも閉まってたんだよねー(←わかりやすいかと思って東京弁でしゃべっている)、まだ早かったかなー。「早くないよ、楽器屋が遅いだけ笑」、とまあ、このレベルの会話を普通にこなしてきます。普通の商人がですよ。おそるべし。やはりインド人、頭がいい。
さらにずーっと路地を南に進むとこんどはおじいさんが英語でしゃべってきます。「楽器屋ない?(←英語)」と言うと楽器屋まで連れてってくれました。これがまたけっこう歩くんだなあ。路地は迷ってもガンジスに出ればなんとかなるからいいけど、人通りがなくて狭い路地に連れてかれた。ちょっと気を許すとすーぐこういう怪しいやつに当たるんだから。金は払わんと最初に明言してあるので、まあ一銭も払わずに帰ったれと思ってそのまま行ってみます。

タブラ!
まあ何はともあれお目当ての楽器、タブラの前までたどりつきました。タブラってのはインド音楽でよく聞く、手で叩いて妙な音を出す太鼓です。低いのと高いのと二個セット、あるいはそれ以上で用い、世界一難しい太鼓との呼び声もあるほど。ここには他にもシタールやら笛やらよくわからん楽器やらが置いてあります。埃をかぶって。

そのジジイが店員に話しつけてるっぽいので、やはり客引きでしょう。まあええけど、ジジイが教えてくれるタブラは見るからに上手くない。5分で先生が来るから待っとけとか言われて、いやー教わってお金払うつもりないねんなーとなっているうちに先生到着。タダで軽く教わるとこまでは成功しましたが、これはピンチです。レッスン料は1時間500ルピー×数日、あるいは1時間半で全部マスターするコースが1000ルピー。タブラは一番安いスチール製で二個セット12000ルピーと。知らんけどたぶん相場より高いなー、とか渋っていると(本当はそもそも全くお金を払う気がない)、「持って帰って練習すれば一生使えるし、高い買い物じゃないよ!」と先生に言われます。しかし...、そうこう言っているうちに突然触ってもないのに先生の右のタブラの皮がパアァァァァァン(破)



......えええええええええええええええ!!(一同)

何が「一生使える」やねん!詐欺まがいの商売しやがって!と思いましたが、さすがにこの事態には先生も大困惑でした。そりゃそうか。なんぼ粗悪品でも目の前で自然に破れられたら商売にならないですからね。ここぞとばかり「ええええええええええ、、ええええええええええ、、、」とか言いながら退散してきました。ジジイや店員も止めるに止められず。本当に運がないヤツらですよね。昨日も火葬場から街中まで連れてきたのにインターホンに出てもらえなかった客引きがいましたが、もしかしたら彼らが悪運なのではなく僕が変な運を使ってしまってるのかも。。。

ジジイに再会したくなかったのでガンジスへ出て別の道から帰ることにします。うーんのんびりしていていいですね。概して河は良い。昨日このへんで出会った25歳の方に再会、お互いのこれからの旅についてとか少し立ち話をさせてもらってお別れ、

そして川沿いの救い
 「ハローニホンジン、チャーイ」いくら?「ロクルピー」飲むわ!みたいな。最初は客引きという行為に無条件に苛立ちあしらい続けていたはずでしたが、いつのまにかものすごく気楽な気分になっててこういうのにはノリノリで乗るようになってます。不思議と。まあ怪しいのはもちろんあしらったり、しつこいのは怒鳴ったりもちろんしますけどね。
店のおっちゃんが日本語で、要約すると「目の前に並んでるボートは全部俺のだ、10年前はこの奥の階段までびっしり日本人が座ってた、俺はガンジスでバタフライに出演した、長澤ま◯みと一緒に飲んだ」とか絶対嘘やんけっていうようなことを並べ続けるので、試しに「ホンマか?」と問いただしてみたら


一番疑った長澤◯さみの件が本当やった
 はあーほおーへえー。何を信じて何を信じないかって本当に難しいな。

地元の人々の市場を通り、元の筋に戻って11時に閉まってた楽器屋を立て続けに冷やかします。
5500ルピー。
 やっぱりさっきのはボッタクリか。まあ買わないんだけどねえ。「次来たときね!ビジネスマンになったら買うよ!」とか言って切り抜けます。ひどいと思う人もいるでしょうが、日本の楽器屋でもよくあることですよ。なんせ楽器は高い買い物ですので。

タブラ叩きまくって、なぜかジャンベ(アフリカの太鼓)も売れるのかいっぱい置いてあったんで叩きまくって、笛も吹いて(店のおっちゃんともどもロクに吹けなかった)、何かの役に立つかもと思いちゃっちいタンバリン(たぶん正確にはパンデイロ)を買いました。200ルピー。正確にはパンデイロですが、どちらかというとおもちゃのタンバリンみたいな感じですかね。ヨーロッパで適当に叩いてたら元が取れないかなぁなんて。無理か。


これが路地の感じ

よく旅人が使ってるこの楽器
これ知ってます?紐の両端にシェイカーがついてるみたいな楽器です。小さかった頃に一度、中央公園で旅人に見せてもらった記憶があります。僕が習得してきた打楽器のノウハウとは全く違った原理なので、やってみても全然できるイメージが見えないし、こちらは買わずにおきました。

この人は2個使いができる
すげえ。左右でパターンが違うんですよ。まあでもこういうのはペン回しとかが 得意な部類の人々がやればいいんじゃないかな。
いやー、目的がある程度決まってて、好きなものを路地の商店で見て回るっていう行為自体がめちゃくちゃ楽しいですね。知らず知らず「めちゃくちゃ楽しい...」って呟いててこの2個使いのにいちゃんに「ナニガメチャクチャタノシイ?」って聞き返されてしまいました。あんたも日本語出来るの忘れてたよ。あと、多くのインド人が日本語で、僕とコミュニケーションを図ろうとしてるのが(商売のためとはいえ)おもしろいんですよね。南インドでは英語も通じるか怪しいし、僕が完全に異邦人、って感じのとこが多かったので、「それはいらなーい」「あーまた来るよー」とか言ってるだけで楽しかったりするんでしょう。で途中で、「インド人は英語も日本語も頑張って覚えて、つたない日本語で頑張ってくれてるのに、英語もロクにできない僕が客だからという理由だけで偉そうに闊歩している」という事実に気づいてきて自分のダサさに押し潰されそうになる、みたいなね。

ひるごはん
これも日本語が喋れる人がやってる路地のお店。本当はいくつかオススメの店を聞いて回ってたんですがどこも閉まっていて、結局日本語が使えるお店にしちゃいました。でも食べるのはタンドリーチキンカレーにバターロティ(チャパティ)。超うまい。有塩バターってずるいとこありますよね。うまい。水も合わせて200ルピーだったかしら。

またまたまたこのラッシー
ラッシー屋で友人と待ち合わせ。40ルピーなんでね。やっぱりすごい。Wi-Fiも使えるということで、晩飯までここでゆっくりすることに。友人は路地で一昨日頼んだ指輪を受け取ってきていました。いい仕上がり。
ここの店員のにいちゃんと、オーナーは日本語が喋れるので、それぞれと最後にちょっと座って話をしてみました(しに来てくれました)。オーナーさんは日本人は豊かになり、モノに固執していて心が豊かでない的な話をしてくださって、冷静に内容だけ取ればよく聞く類の話ではあるんですが、インドの方が言うと重みが違うなと。そして、「今は日本が一番だけど、たぶんそのうちインドが自殺者の数いちばんになるよ」だそう。そうなんや。インドってこれからもずっとこんな感じかと思ってた。さっき再会した25歳の方から「インドもプチバブルが来てる」と聞いていたんですが、ちょっと繋がったのかもしれません。
いやー、ミニマリストになるつもりもないですが、モノはそこそこにして旅とか、美味いメシとか、まあなんでもいいですけどサービスにお金を多く投げて、気楽にやっていきたいですね。このインドで過ごした2週間が僕をそういう気分にさせているだけかもしれませんが、そういう気分をたまにでも思い出したいなと思います。

宿に戻ってばんごはん
 何日か前に食べた鶏唐揚げマリネの、こんどはパスタです。当然美味い。
そして宿OUT。宿の人や出来た知り合いが見送ってくれました。見えなくなるまで手を振ってくれて、あーいい宿やったなあという気になります。いやでもほんと、いい宿でした。

リキシャを捕まえて郊外駅ムガルサライにまた向かわなければなりません。でまた着いた時と同じ喧騒です。別れの気分に浸っているのもほんの束の間でしたよまったく。

「「ムガルサライ」」(←普通のリキシャドライバーにはさすがに英語)
「500ルピー」
「「高い」」
「400ルピー」
「「高い!!!」」
二手に分かれてとにかく安く行ってくれるリキシャを探しますが、明らかに高い。二人でほうぼうに怒鳴ってる感じです。

「ええか!聞いてくれ!ムガルサライからここまで、250ルピーやってん!わかった?」
「Yes.」「Yes.」「OK.」「Yes.」...
「いくら!」
「「「「「「「400」」」」」」」
「なんっっっっでやねん!!!!」(←日本語)

ラチがあかないかと思いましたが、二人捕まえて安さ合戦みたいなことさせたら300まで下がりました。まあ街行きと違って帰りは宿に連れてってバックもらうインセンティブとかもないし、まあこんなもんでしょう。俺たちはよく頑張って怒鳴ったよ。

夜なので写真は綺麗に撮れてませんが、大きな橋でまたガンジスを渡りました。もう二度と来ることはないんじゃないかという気がしています。Bye Bye ガンジス。

1時間弱で駅に到着。降りる時も値段を多目に言ったりせず立派なドライバーでした。駅の待合では我々の膝、そしてつま先に額を擦り付けて物乞いをする大ガチな乞食の男の子が現れまして、さすがに胸が痛みました。ずっとなんですよ。リアルに3分ぐらいですかね。何が彼にこんなことをさせているのか。

しばらくしてホームへ。今日はインドが誇る優等列車に乗ります。優先的に来るので遅れはほとんど発生せず、全車冷房車なんだとか。


ハシゴの先の掲示板を見るとヤバい作業をしているとわかる

来た

すでに客車は眠りについている
んー写真からは分かりづらいですが、今日は左側、サイドの席の下側で眠ります。進行方向と平行に寝るってことですね。そしてこの席、自分だけの窓があるんですよ。カーテンの中に体を潜り込ませると窓の反射がなくなって、外の景色がなんとも綺麗に見えるんですね(ドアから身を乗り出していると車掌にやめるよう注意されました、おそらく冷房車なので)。
星空が綺麗で綺麗で。初めてブルートレインに乗った時を思い出しました。1回生の冬、上野発のあけぼののソロ上段だったんですけど、あの時の部屋の明かりを消した時も同じでした。冬の日本、夏のインドと景色は全く違いますが、同じ感情になりましたね。この瞬間のために旅をしていると言うんでしょうか。まあ言葉にすると陳腐になるんでやめましょう。号泣したとだけ書いておきます。

今日は本当に盛りだくさんで、感情が忙しい一日でした。そして、僕は関空を4/27に出発したので今日でこの旅もちょうど2ヶ月になります。ものすごく長い2ヶ月でしたけど、まだまだですね。ブログの方は読んでてどうですか?やっぱりマンネリ化してますよね。たぶん。でもですね、バックパッカーのバイブル「深夜特急」も途中から惰性になってるという評価をよく耳にしますし、マンネリこそ長期旅行の本質なのかもしれません。言い訳ですけど。言い訳ですけど、本当に思ってます。アジアを出ればお金も使いづらくなって治安も悪くなって、きっとネタも減るでしょう。それでも、面白いことをたくさんしたい、と思い続けてはいるので(思うだけやったらタダやし)、今後ともよろしくお願いします。


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