2017年10月13日金曜日

ああ憧れのキューバ





ときは2017年1月8日。空港徹夜を敢行していたもので、飛行機の中では爆睡。気づけばすでに滑走路、この長い長い旅のいわば本丸、キューバに降り立っていたのでした。

すでにここまで約50カ国を訪れた私が何故これほどまでにキューバに憧れ、こだわるのか。

まずはなんといっても現役の社会主義国であるということ。固く断っておきますが社会主義者や共産主義者ではありませんよ(大学が大学なのでよくそういう疑いの目を向けられますけど…)。2017年にもなってまだ社会主義やってるって異彩を放ってるじゃないですか。厳密にはベトナムも社会主義国ですけど、ホーチミンの回(局所的に通信規制がかかった回)でちらっと実感したほかは資本主義国とあまり変わりありませんでした。なんなら今や東南アジアの台風の目。ましてや中国なんかは言うまでもないですね。なんやねん社会主義市場経済て。
一方のキューバはこれらとは一線を画しています。まず明確に反米。あの天下のアメリカ合衆国に、こんなに近い(約100km)のに、明確に反米。通貨も観光客用と国民用に二種類の通貨が用いられており、すなわち二種類の物価が存在している。反米で国民間の物価が資本主義諸国と全く異なるため、50年前の車が(おそらく中古車としてまわってきて)普段使いされている。それから旅人にとって他の中南米諸国と決定的な違いを感じるのが治安。とにかく安全。社会主義国の刑事罰はとても重いから………

こんなホンマかどうかもわからんような話をたくさん聞いてきて、こんな異世界に行かずしてなるものかと思うじゃないですか。これが一つ目。

次に、そんな反米国家キューバも転機を迎えているということ。
革命の指導者フィデル・カストロは僕がアルゼンチンにいた2016年11月に亡くなってしまいました。国全体が喪に服していましたね。フィデル生前からすでに指導者の座を譲られていた実弟ラウル・カストロ議長は昨年アメリカ合衆国・オバマ大統領と国交回復、アメリカとの直行便が就航したという話なんかは前回触れたとおりです。これからキューバにはアメリカからたくさんのモノが入ってきて、様変わりしてしまうかもしれないと言われています。今の異世界キューバをみるなら今しかない!とバックパッカーの間ではもっぱらの噂なわけです。これが二点目。

そして最後に、そんなことは別としてもキューバの音楽、街並み、美しい海ですね。
特に音楽。僕は親の影響で幼少期からいろんな音楽を聴ける環境にあったんですが、中でも某父親が買ってきたアフロキューバンのDVDにハマってヘビロテしてたようなラテンなガキやったんですよね(どう間違ってもこんなフォーク大好き野郎にはならへん環境やったはずやねんけどな…)。







まあそういうわけで、たいーへん長くなりましたがとにかく僕にとって魅力が溢れ出して止まらない国、それがキューバな訳ですよ。な訳です。おわかりいただけましたか?


銃乱射のせいで1日減り、キューバでの滞在日数は10日となりました。ほんとはもっとおりたいのも山々ですけどもうこればっかりはしかたないですね。キューバの入国は厄介みたいな話も聞いたことはありましたが、トリニダード郊外で入手したツーリストカードを提出すればあら不思議。あまりにもあっけなく入国を果たしました。現地通貨引き出しを済ませ、その先の売店で早速目に飛び込んできたのはペプシコーラ!セブンアップ!



…アメリカナイズの波は恐ろしく早いようで。



着いたのは首都ハバナの空港なのでここからハバナ市街を目指す必要があるのですが、ここで空港前に止まっているタクシーを使うと30CUCほどらしい。出ましたね、CUC。こっちが観光用のお金です。1CUC=1米ドルの兌換通貨。つまり30ドルです。当然高い。一方のローカルバスはこのターミナルから30分歩いたところからしか出ていませんが料金は1CUPです。CUPが現地用通貨。25CUP=1CUCというのが一般的なレートなので、つまり、タクシーが約3300円なのに対してローカルバスは...約5円...

そら歩くわな
事前調査が活きますね。というかなんやこののどかさは。いかに誰もバス停まで歩かないかということですね。まあ見知らぬ国でいきなりそんなことする観光客も珍しいか。またまたスペイン語圏なので頑張ってCentro?とかAutobus?とか人に聞きながらバス停を見つけバスを待っていると、早速クラシックカーの往来が見えるわけですよ。テンション上がりますね。そしてバスより先に現れたのが馬車。

ばっ、馬車…。それも観光用とかではないですよ。輸送用。牧草が満載された車を、馬が曳いて、行動を走って行きました。ここまでクラシックとは。。。

無事バスに乗り、満員のバスに揺られること1時間、無事にハバナ市街にたどり着くことができました。ハバナには日本人・韓国人バックパッカーが集う宿が三つほどあります。定番宿ってやつですね。そのうちの一つ、しおまらというところにチェックイン。(現地でもひらがな表記で「しおまら」です。由来は不明。)

スタッフは現地人ですが気さくでなかなか良さげな宿でした。一泊10CUC。他の中南米と似たり寄ったりの一泊10ドルということですね。二段ベッドではないのがありがたい。

腹が減ったので(前回記事の最後の写真参照)、早速ごはん。
街並みの写真は後で出しますが、とりあえず宿最寄りのまともそうなレストランでの食事の写真から。
食事の前に飲み物
 出ました。見たことないやつ。これがキューバのコーラ、tuKolaです。一番上のREFRESCOというのがこの国ではソフトドリンクを意味するらしい。で、メニューにはアメリカのコーラと国産コーラの二種類がある(もちろん国産が安い)と。こういう独自の国産品が発達するわけですね。たぶんアメリカのコーラがやってきたのはつい最近の話。

遅めの昼ごはん
手堅く、なんということはなさそうなピザ。まあ若干場違いなぐらいオシャレなカフェで食べてますからね。ちなみに味は、たいしたことはなかったです。
宿に戻って情報収集したり同じ宿の日本人と交流したり。さすが日本人の集まる宿とあって、地球の歩き方に始まりガイドブックや情報ノートが充実しています。ここからの10日ほどの計画を立てつつ、有用そうな情報はかたっぱしから写真に撮る時間を送りました。
そう、書くのが遅くなりましたが、キューバではインターネットの普及が す ご く 遅れています。どのぐらい遅れているかといえば、一般家庭にはまずネットなんかない。カフェにもない。ネットカフェも存在しない。インターネットを使いたければ、所定のWi-Fiが飛んでいる公園に赴いて、突っ立っている売り子からインターネットカードを3CUC(=3ドル)で買う、もしくは電話局みたいなところに行って1〜2時間並べば2CUCになる。所定Wi-Fi公園でWi-Fiを捕まえカードに記載されたパスワードを入力すると、ネットが1時間使える。



……。




つまり、公園で3ドル/1時間払えばネットが使える訳ですよ。それしか方法はない。ということでわたくし3ドルだけ払いまして、あとは宿で手に入る情報に依拠することとしました。もう払わんとこかなとも思ったんですけど、さすがに連絡つきませんっていう連絡はせなあかんわとなりまして親にメールとかSNSに報告とか...。息苦しい世の中になりましたよ。まあ便利になったけど。実際にほとんどネットから離れて過ごし続けると、ものすごく気楽になるのがわかりました。キューバのゆっくりとした時間の流れに溶け込むのにすごく有効でしたね。



散歩中の光景
早速。早速か。
有名そうなホテルの半屋外みたいなテラス席でやってました。それを外野から見てるわけですが、やはりさすがに観光客が人だかりを作ってました。レベル高いんですよ。もう最高なんですよ。


昼ごはんも遅かったので、そうこうしているうちに晩御飯の時間に。
宿で出会った日本人の方おふたりに連れて行ってもらって安いご飯屋さんへ。
えー、こうも常識の範囲に収まらない国だとひとつずつ注釈をつけていかないといけないので大変ですが、キューバでは物を買うにしても飯屋に行くにしても、観光客用の店と地元向けの店と二種類あります。観光客用の店は先進国みたいな物価でCUCが用いられ、地元向けの店は安価なかわり、観光客には使いづらいように見つけにくい場所にあったりCUPしか使えなかったり。ということで


これがだいたい1ドルですよ
そんなに美味しくはないけど、しかし1ドルはすごいよね。。。

翌日から本格的にハバナ散歩です。お待ちかね、ハバナの風景をご覧に入れましょう。

これが宿の前の通り
そう。宿の前がすでに良すぎるんですよ。オールドハバナの街並みは世界遺産。さすがの貫禄。

当たり前にクラシックカーが行き交う

しかもめちゃめちゃある

クラシックカーとクラシックトレイン

路面電車の名残?

かっこいい...
キューバの輸送を支えてきた蒸気機関車の数々

何かの作業中

転がしてどっか持って行った......


ここはハバナ中央駅の近く。わざわざきたのはもちろん、鉄道のきっぷをとるため。
しかし噂には聞いてましたけどキューバの鉄道は本当に押さえるのが難しい。本当に地元の人々のためにしか動いてないので英語では相手にしてもらえない、頑張ってオフライン翻訳アプリに英語打ち込んでスペイン語で出しても今日は売ってない、設備がボロくてそもそも運行頻度が極端に低い...など...。日程、行き先、いろんなパターンを試しましたがラチが開かなさめだったので鉄道以外の移動も視野に入れながら出直すことに。退却。

港の倉庫改造?の土産物が集まる観光名所

ハバナの湾をわたる渡し船


カリブのクルーズ船が寄港している 
寂れめな対岸にも小さな駅の終点が

丘を登る。謎のキリスト像

ゲバラの家
正式には第一ゲバラ邸宅といい、その名の通り革命の英雄チェ・ゲバラが住んでいた家だそうです。

執務室

続いて、ハバナといえば要塞

ここはカバーニャ要塞というらしい

ハバナ湾の入り口、遠くにハバナ新市街がみえる

対岸は泊まっている旧市街

湾口の外は美しいカリブ海

さっきの豪華客船がハバナを出港している


湾口にも要塞。モロ要塞というらしい
有料の内部は入らんかったけど。

廃砲台が撮影スポットに

新市街とモロ要塞

海底トンネルにも星が

海底トンネルに向かう幹線道路まで歩く 
路線バスですぐに旧市街に。対岸にさっきのモロ要塞。

サン・クリストバル大聖堂らしい

ここが繁華街のメイン通りっぽい

チュロス屋台
揚げたてのながーいチュロスを切って、砂糖をまぶして寄越してくれます。もちろんこういうのは安い。

カピトリオ(旧国会議事堂)は修繕中で足場が組まれているのが残念

 夕方に宿に戻り、宿の日本人客の方々と「行きましょう」と言い合っていたお店へ。


ばんめし

とんかつ定食です。日本食レストラン。しかも激安。2ドルぐらい。なんと経営しているのは日本人の方。キューバに住むって大変そうやけどできるもんなんすね。

そして。キューバといえば、お酒です。



モヒート
何を隠そうこのお店、モヒート発祥のお店。ミントがたっぷりで、初めてモヒートが美味いと思えましたね。美味かった。ぎゅうぎゅうの店内では収まりきらず店の前で飲んでいる人々、店の前で飲んでる人々がいるにもかかわらず店内で生演奏するバンド。キューバですねえ。

さらに翌日。再び駅へ。


駅前では箱みたいなバスをみかける
結局満席だったので、手段をバスに切り替えることに。

はい、また注釈です。バスは、観光客用のを使うと本当に先進国並みの値段します。12時間走って40CUCとか。しかし、普通の人民用の長距離バスは基本的に外国人は乗れないようになっているのです。チケットを売ってもらえません。外国人がしっかりお金を落とすような仕組みづくりがけっこう徹底されている。
外国人もお金を使わずに移動する方法はあるにはあるのですが、現地人と一緒に現地人用バスより劣悪な乗り物に乗っていくしかありません。その名もカミオン。乗り場もわかりづらいし、人が集まるまで発車しないアフリカスタイルが主やし、トラックを改造した座席は乗り心地が…という噂。まあでも安いらしいので宿のスタッフに乗り場への行き方を聞いて向かいます。

これが果たして公共交通機関か

中は意外とマトモで助かった
それでまあどこに向かうのかと言う話です。キューバに来る多くの観光客はハバナと、ハバナからほど近い古都トリニダーという街を単純往復して、+αでハバナ近郊の町や海に行ったりして終えるようなので僕もそうしようかなと思っていたんですよ。しかしどうもサルサやその原型となったソン、またアフロキューバンジャズといったキューバ音楽の本場はハバナから最も離れた東の街サンチアゴ・デ・クーバらしく。

行くかと。サンチアゴ・デ・クーバ、行くか、と。

そういうことで最長距離の大移動路線だったので客室が比較的マトモやったんですね。お客さんも一定数集まったようで、1時間ぐらいで発車。キューバ大横断開始です。
夕方に出ましたので夜行。宿代も浮いて12CUC、バスと比べたら30ドルぐらい浮きました。やったね。
改造トラックはハイウェイを疾走します。意外と整備されているのはやはり国家事業が容易に安価な労働力を確保できるからともっぱらの噂…。悪くない乗り心地です。

他の途上国諸国と同じく、レストランに寄って休憩します。レストランから運転手にキックバックが渡されているアレです。たぶん。


厨房

すごい…さすがにこの厨房は途上国とかそういう問題ではない…。



メシは…美味い不味いの話はやめにして、すごく…こう…いい体験しました。こういうのってツーリストバス使えば先進的なレストランが用意されてたりするんかな。

これが立ち寄ったレストランのある集落?です
夜中は途上国あるあるで子供がグズりかけて際どかったですが、幸いにも座席が快適やったのでなんとか眠り、翌早朝に到着しました。明るくなるまでターミナル内で少しお休み。

明るくなった
地図を見ながら中心部を目指して歩き、それと同時に宿を探します。

ハバナではいわゆる定番宿があったので問題なかったですが、ハバナ以外で安く泊まろうと思うと「カーサ」を探すことになります。カーサCasaとはスペイン語で家を意味しますが、ここでは民泊のことを言います。部屋を貸してくれるわけです。1泊20〜30CUCぐらいかな。交渉次第。あとたぶん全てのカーサで、別料金でごはんを食べさせてくれます。
ネットもロクにないこの国では事前に調べていくか、カーサを歩いて探すことになるということですよ。ひと昔もふた昔も前のバックパッカーのやり方がここではまだ第一線で生きてるんですね。
中心部を目指して歩く
適当なカーサに無事チェックイン。一泊だけにしておいて、もっと安いカーサを探しつつ散歩開始です。

まずこれが鉄道駅
ハバナ中央駅からずーっと続いてきた言わば"本線"はここまで続いてます。

でた
 馬車です。やっと写真におさめられました。本当に当たり前のように走ってますね。

んーボロですねえ
終点駅って感じ。錆びた鉄道風景と南の空が合いますね。

これがサンチアゴ・デ・クーバの中心街

坂の多い港町です
安くしてくれる宿が見つかったので上がってその宿の人に「明日から泊めてくれ」という話をしまして、
その時そこのバルコニーから。壮観
今晩の分の宿に戻って、ばんごはん。別料金を払ってごはんを作ってもらいました。せっかくなんでね。
......
あのーーーまあ、概してご飯に対する意識はあんまり高くないみたいです。

翌日。さっきの綺麗なバルコニーの宿に移動すると、「満室」と言われて泊まれず。例に漏れず中南米。何のために昨日来たと思ってんねん。

近くに15CUCの宿があったのでそこに。15と言われて入ったのに宿のじじいに20と言われるなど一悶着ありつつ15で丸め込みチェックイン。
今日ものんびり街歩き続行。

音楽の街である
 こういったジャンルのストリートライブが多いのはもう入国以来ずっとなんですが、目新しいのはこの中央ちょい左のオルガンみたいな楽器。見えづらいですが、自動演奏オルガンというやつです。ピアノロールの作曲画面の要領で楽譜状に穴の空いた紙を、ハンドルを手回しして一定の速度で読み込んでいくことでオルゴールのように音が鳴っていく楽器です。初めて見ました。他の楽器と合奏とかするんや。。。

パドレ・ピコという有名な階段らしい

Museo de la Clandestinidad
この建物、いまはMuseoということで博物館なんですが、この建物はもと警察署。その昔カストロやゲバラが革命のためキューバに上陸した際、上陸から目をそらすため仲間が襲撃したのがこの建物なんだとか。この向かいには、

何の案内もない建物
これが少年期のカストロが住んでいた家だそうです。どれかわからなかったのですぐ近くに立っていたチュロス屋台のお兄さんに教えてもらいました。



中央広場
セスペデス広場といいます。旧植民地によくある感じですね。

赤いバイクにUZUKIとかいてある
 疼いてそう。新しい車もそれなりにはあります。

音楽の街推し

モンカダ兵営博物館
1953年7月26日、ここにあったモンカダ兵営に奇襲攻撃を行い革命闘争が始まったんだそうです。7月26日が革命記念日だそうで。中にも入りまして、当時の展示物を見ましたわ。博物館はこのうちのほんの一部で、大部分は学校(それも小さな子供達がいっぱいの)になってました。
これは上の博物館に行く途中の謎オブジェ
立方体に向かって下からすごい勢いで水が噴き出てて爆笑しましたよ。水で立方体を浮かせているように見せている。どういう意味があるのか......。

革命広場

ここでは誰も降伏しない、とかいてあるらしい

Revolutionary
キューバ革命発祥の街にふさわしい。


となりでやっていた地域のお祭りでビールをいただく。うまい

おおー
キューバといえば野球!革命広場の隣の地域のお祭りのそのまた隣の野球場でやってました。まあ草野球らしくレベルは高くなかったけども。


夜は

ライブへ!!!
Casa de la Trovaという有名なライブバーらしく。こーれがすごかった。たまげる。本場ハンパない。筆舌に尽くし難い。
もうこのそこここでお客さんの男女が何組も踊り出す雰囲気。みんな当然のように上手いし。写真の位置、つまり最前列端に陣取ってしまって、ステージ前のスペースで踊る人何人かに「私と踊りませんか」な感じで手を差し伸べられてしまって...。思いっきりヒヨって笑いながらムリムリとお断りしてしまった。思いっきりヒヨるぐらいみんな上手い。
衣装着たプロのダンサーも一組出てきて踊ってくれて、これもすごい。で、二部制の前半最後のめっちゃ速い曲でめっちゃ速いダンス始まって、これだけでもすごいのに客ひと組
指名して即興で踊り教えて二組ですごい踊り。すごい。速い。すごい。すごい。すごい。語彙。

文字で説明できるわけないんですね。こんなもの。現地に行くからにはこういう体験をせななと思いますね。圧倒された。曲終わって休憩に入っても圧倒された痺れがずっと残ってる感覚よ。ああ。人生でそう何度も味わえるものではないぞあれは。


正直サルサとソンの違いはよくわかってないんでどっちに分類したらいいのかはわかりませんけど、とにかくセプテットでした。7重奏。レストランの演奏や路上ライブの人とかも含めてもれなくトランペットが上手いのと、歌がハモった瞬間ちょっとびっくりしてしまうような独特なハーモニー、何より観客のレベルの高さが他では味わえないものやと思います。どれだけアメリカの資本や文化が流入してもどうかこの音楽とライブ文化は消えないでほしいと切に願うし、別に僕なんかに切に願われなくとも不滅やろなと思う。


ということで熱冷めやらぬまま宿に戻ります。戻る途中も別のサルサバー(?)が大盛り上がりしててなんぼか入ろうかと思いましたけど、民泊している関係上あんまり時間が遅くなるといけないのでおとなしく帰りました。


なぜか日本のアニメが流れていてびっくりした
日本のアニメが中南米でよく流れていることは前回の記事でベネズエラ人が教えてくれたばかりですけど、なるほどこういう感じね。
最近(記事執筆時点。2017年10月)カタルーニャの独立運動の中でクレヨンしんちゃんの絵が使われていて話題になりましたが、これも元はといえば日本のアニメの版権が安いからカタルーニャ語に吹き替えられて流れていたのが発端とかなんとか。まさかキューバでまで流れているとは、日本のアニメおそるべし。

これはたぶんその翌日、寂れたレストランですら良質な演奏がある の図

さらに翌日、今度はアフロキューバンジャズのバーへ

ドアの取っ手がスティックになっている!

モヒート
モヒートにはやはりこのようにミントをたーーっぷり入れるのがお作法らしい。ハバナのモヒート発祥の店だけじゃないんですね。美味い。

編成はドラムベースピアノに加えてメインに管楽器(この時はフルート)、そしてコンガがいるのが特徴です。サルサなどもラテンジャズに含まれますが、こっちの観光案内でアフロキューバンジャズが見たいといえば普通このような形態を指すみたい。わたくし実はジャズはかなり苦手なんですが、打楽器が二人もいるからか割と楽しんで聴けました。でもやっぱりサルサとかソンの方がだいぶ好みかもしれない。



翌日。交差点待ちをする馬車
ちなみに奥の倉庫に書いてあるYO SOY FIDELのYO SOYはI am...の意味。I am Xで私はXを支持する、の意味って最近登場したと思っててんけど。。。あるいは最近(亡くなったとき)に書いたか...?

さあ帰るぞ

そう。やっと鉄道の切符が買えたのです。サンチアゴ・デ・クーバ駅の切符売り場は駅舎に向かって右側のあたりにあるんですがちょっとわかりにくいので聞きながら辿り着かなければならない。行ったら行ったで今日は売ってないだのまだわからないだの昼休みになっただの。。。明日来いって言われて翌日行ったらまた明後日来いって言われたり。そして英語はもちろん通じないので全てスペイン語で話す......のは無理なのでGoogle翻訳アプリに英語を打ち込んで翻訳結果を見せ続けなければならない!

とにかくもう優しくない。どこまでが外国人に不便でどこからが客全般にとって不便なのかわからんがとにっかく全く便利に設計されていない。
同じ切符売り場に三度目に行った時にはもうこれで無理ならキューバの鉄道は諦めようと思って。でも1時間待ったらなんとか取れた。よかった...。切符を手にした時の達成感ヤバかったっすね。

そしてハバナにとんぼ返り...ではなく、途中のキューバ中部・サンタクララという街まで乗ります。こういう切符の取り方をしたから難儀した可能性はあります。サンチアゴ・デ・クーバ-ハバナ便ならもっと取りやすいかもしれません。


時間まで客はホームに入れないのでこうしてごった返す

うおー

大好きな雰囲気

貨車も

先頭!

乗り込みます!!!!!!こんなにテンションの上がる瞬間はない!

わたしの座席

通路
どうです!ボロでしょう!
これはすごいね。インドよりすごい。現役社会主義国の鉄道、イメージ通りで感動です。カメラに微笑みかけてくれるおじさん。乗り合わせた人たちはみんなあたたかかったです。言葉は殆ど通じずとも。ま、キューバはみんなあたたかいんですけどね。見る限りは、途上国によくある殺伐とした雰囲気がまったくない、いい国です。治安の良さに裏付けされてるんでしょうけど。


発車!!!!!!
はい。発車です。忘れもしない、この時のえも言われぬ感情。ああ、あとは帰っていくのみやねんな、と。
ハバナからサンチアゴ・デ・クーバに向かう間は方角的にも日本から離れて行くし、未知の場所へ向かって行く感覚があったんですよね。でもサンチアゴ・デ・クーバはほぼ最東端なので、ここからはハバナへ向いて戻って行くしかないし、ハバナからは飛行機でアメリカに飛び、そして日本へ帰ってゆく...。こんな時間を忘れさせてくれるような、日本の真逆のような土地から、一路日本へ向けて戻ってゆくのみやと思うと寂しさがありました。もちろん直帰するだけではないですけど、帰るんやという意識はここで突然すごくキたことを覚えています。時間的には旅程の95%を経過してたので遅すぎるくらいですが。


ボロ汽車はキューバのサトウキビ畑をゆく

こわい結合部

こわい最後尾
でもエモい。


錆びきった駅
 でもそれがエモい。

雲すらエモい

愛やんけ

もはや海外長距離列車ではおなじみの日没シーン
大陸的景観が続いて島国であることを忘れそうになる。

夜もなんどか駅に停まり、物売りから物を買う。これも途上国でずっとやってきた馴染みの光景。終わりかなと思ったら泣けてき...、そうになります。

終点サンタクララに到着
途中遅れが出ていると聞いてたのですが、着いてみれば定刻通り夜中の2時。さすがに動けない。無理すぎる。動いても仕方がないし。ということで夜が明けるまで駅待機。他の乗客たちの多くも同様で、人々にまざって待合のベンチに座り込み、休んでました。


夜明け
この時見た日の出がめちゃくちゃ格好よかった。夜明けとともにレールバスみたいなかわいい二両の汽車(おそらく近郊列車)が入ってきて駅が動きだします。僕も動き出します。

サンタクララに来た理由はただ一つ。ハバナの宿で出会った日本人から、ここでプロ野球をやっているという噂を聞いたから。ところが観光案内所の人に調べてもらうとこの日サンタクララでは野球をやってない、しかも今日はシーズン最終戦である、と。調べてもらったところ、ここからさらに西へ車で3時間ほど走らせた北海岸マタンサスという街で試合があるらしい。今日がシーズン最終戦ということは、もうこれは是が非でも行かなければならない。行かなければ、ならない。。。

サンタクララ-マタンサスなんていうローカル路線、もうどう行けばいいのかすらわからず、観光案内所で聞いてもカミオンの乗り場すらわからなかったので仕方なく外国人客用バス・ビアスールの乗り場まで歩くことに。すると途中に気になる観光地が。

チェ・ゲバラ霊廟
思わぬ観光ができました。ゲバラの遺骨はここに眠るそうです。サンタクララ、野球の本拠地もあるぐらいですから割とちゃんとした街なんですよ。

それで肝心のビアスールですが、やはりそんなローカル路線はなく、乗り継ぐにしても時間がかかりすぎる模様。急いでんねん!

まわりにたむろして僕のようなビアスールのおこぼれをねらうタクシー運転手に話しかけられたのでマタンサスまで行きたいというと、値切ればだいぶ値切れました。普通タクシーって高いのに、ビアスールのバスと同じぐらいでは?という値段まで行ったのでもう乗ることに。よほどビアスールが暴利を貪ってますね。タクシーなんか戻ってこなあかんから遠距離嫌うのに。ま、交渉の結果マタンサス近郊の、マタンサスまで直行カミオンが出ている街までということになりましたがね。

タクシーはありがたいほどかっ飛ばしてくれますが、目的地までのちょうど中間に位置するコロンという街で一旦停止。


もう馬車いるのは慣れましたが、
こんなとこに車止めてどうした?まさか、、タクシー強盗???

キューバに限って、やはりそんなことはありませんでした。運転手が建物に入ってしばらくして、中から出て来たのは運転手の奥さんと小さなお子さん。おうちかい!
家族に会えるから割と乗り気で安く来てくれた可能性アリですね。やとすれば家族思いのええやつやないか。

コロンの街には四角い集合住宅もみられた

ここがカミオンへの乗り換え地点、サンタマルタ
美しい。ここから突き出た岬の先へ進むとキューバ一のリゾート、バラデロに着きます。だからここもちょっとリゾートな雰囲気があるんですね。別荘かな?いいお家がラグーンの向こうに並びますね。わたくしはただ岬の西から来て、東へと素通りするだけ。 カミオンは定員揃わないと発車しないと噂、というかハバナ出発時に実際に体験したので不安でしたが、タクシー運転手がカミオン車掌に繋いでくれて難なく乗車、すぐ発車でした。

車内
これぞ!これぞカミオンですね。進行方向に対して平行に並んだ三列の板張り長椅子。こら長時間は乗れへんわ。ハバナから夜行で乗ったバスのような車内のあれ、あれはカミオンであってカミオンではない。
劣悪な車内環境に妙に満足しつつ、美しいカリブ海をみながら走ること30分、

マタンサスの中央広場
なんか観光案内所が潰れてもぬけの殻になっていたので仕方なく街唯一と思しきちゃんとしたホテルに寄り、野球情報を聞くと...

もう試合は始まっているらしい!バイクタクシーを呼んでもらい迅速に野球場へ。



やーーーー来たぞ!
外国人は3CUCを要求されましたが、一般人や運のいい外国人なら3CUPで入れるという噂です。それでプロ野球の興行が成り立つのかと思いますが、そういえばキューバの野球選手は公務員とかいう話ありましたね。

この日は本拠地マタンサス対、グランマ。グランマはサンチアゴ・デ・クーバの西隣にある州で、カストロ達が上陸したところですね。グランマはその時の船の名前グランマ号にちなんでいると思われます。

試合は僕が着いてしばらくした5回にビジター側グランマが連打後の満塁弾で10点を取る一方的な展開。しかもビジターが、なので盛り上がりには欠けた感はあります。ちなみにグランマの監督はその後のWBCキューバ代表監督として出て来ました。遠ーー目にではありますが、WBCキューバ代表監督を生で見たことになりますね。ちなみに元日ハムのアブレイユはここマタンサスの生まれで、このマタンサスのチームに在籍したこともあるとか。(今調べた)

印象に残ったのは試合よりも観客席。特に応援団席。


この写真ではわかりにくいね
金物打楽器と太鼓が大人数で居て、めっちゃ難しいリズムを作り出してるんですよ。説明不可能なので......







動画をご用意しました!!!

キューバプロ野球応援団の独特の応援(Youtube)

ちなみに動画説明欄のところにLong ver.のリンクも貼り付けてます。個人的にはLong ver.の0:57あたりから、三三七拍子→四分→元のリズムパターンに戻るところが大好きです。

ちなみに他にも動画をいくつかアップしてます。世界一周中以外に撮影したものもありますし、ケーブルカーの前面展望とかがほとんどですけど。ご興味あられたらぜひどうぞ。



さて、マタンサスまでくればハバナまでは車で1時間ほどの距離まで帰って来ました。ハバナに帰れば一泊10CUCまで下がるので、ここに安い宿がなければ適当にカミオン捕まえて今夜までにハバナに帰ることに決定。

帰り道。キューバのベネチアと呼ばれているらしい
ベネチアかはともかく...、のどかでいい風景です。

やはり馬車がたくさんならぶ
歩いて街に戻り適当なカーサにあたるもやっぱり20CUCぐらいしてしまいます。ハバナ行きカミオン乗り場があるという海沿いまで歩いて帰ることに。


・・・

・・・




ちょちょっ、


ちょっと待ってくれ。





風情がありすぎる。




もうキューバも終わりかと思いかけてたこのタイミングで、野球の試合があるって理由だけで適当に来たこの街が、こんなに、






...胸震わせてくると思わんかった.............






なにこの風情。


なに今の夕方の鉄道橋から釣りする少年たち。



いい日旅立ちか。





走ってカーサに戻り、若干値切り、泊まることにしたのでありました。この街の夕景に10CUCぐらい余分に払えないようではバックパッカーの名がすたる。



荷物を置いて出直す夕暮れマタンサス

泣きそう

現在に至るまで僕の待ち受けです
こういうなんてことのない、気を抜いているときに突然現れては琴線に触れて来る風景、この瞬間の興奮がやめられへんくて旅行趣味を続けているわけです。なんやかんやと目的を作っては。ああ。

鳥たちも帰ってゆく

はい。鳥肌立ちました。バリ英断でした。


翌日。

地図を参照するに、ハバナ旧市街対岸の小さな駅から出ている鉄道の終点がここらしく。


参考:さっきのこの写真のとこですね

なるほどつまり、ハバナ対岸まで電車でいけるわけですね。本数は限られてますが、時間ははっきりしているのでその電車に乗らないわけにはいきません。地球の歩き方にも載ってるし。


カラフルな街並み、海沿いの線路
海沿いにおしゃれな喫茶とかもあってきれい。昼間もやはり綺麗な街。


ちょっと街はずれを歩きましたが、無事駅に到着

あ?
TREN CANCELADO。とれんきゃんせらーど。僕でも分かりますよ。TrainがCancelledになったわけですよね。一応スタッフがいたので聞いてみるとやはり今日の運行は無くなったらしい。中南米なー。時間もないしカミオンで帰ることに...


この線路がハバナにつながっているのか...乗りたかった...

貨物列車
そう。この線路、
昨日から見て来たこの線路、

どうやら現役です。たまーに貨物列車が通るようです。さっきのCancellされた路線とはもちろん別。

カミオンを待つ
ハバナに行く路線なら結構本数があるかと思いきや、意外と一時間ぐらい来ませんでした。バス停らしきものはなく、地元の人々の感覚で運営されているのでもう不安で仕方がない。周りで同じように待っている人に頑張って聞きつつ、無事カミオン(というか観光バス)に乗り込め、

ハバナ帰還。
しおまらに戻ってチェックインすると、久々に日本人がいっぱい居て喋ることができました。

出会ったK応大の方と一緒に食べに行ったのが

キューバ名物ロブスター
うん。そこそこかな。

宿ではキューバラムを買って来た人にごちそうになり。

そしてもう一発だけ音楽を楽しみに出ます。日本人3人で。
おしゃれな入り口の地下ジャズバー。

アフロキューバンジャズ
クオリティ高かったっすね。さすがといった感じ。管とコンガがもれなくすごい。

翌日はもう一日ハバナ観光

軍事博物館は遠目に見るだけ

革命博物館


海沿いの不思議な門構えに

不思議な道の先には

!!!
この人は支倉常長(はせくら つねなが)といい、日本人として初めてキューバの地を踏んだ人物とのこと。仙台藩士として、伊達政宗の送った遣欧使節の正使やったとかなんとか。そいでもってこの像を建てたのが仙台育英らしい。よくわからん...。

Primavera(Festival de Aoba)

これが有名な古本市

これも有名な

「ゲバラの落書き」
たまたまか赤のクラシックカーが多くて最高に映えました。
最後に宿の窓からの光景を

結局ね、旧市街なんですよ。

宿の中からカピトリオ
まああとはこの日、日本に持って帰るお土産とかも買いましたかね。Tシャツとか。自分用にもゲバラのTシャツを。あとサークルに土産物クオリティのクラベスとかマラカスとか。足らない分は空港にて。


翌朝。革命広場

朝早すぎて護衛の軍隊しかおらん

離陸

はい。離陸です。

ハバナに向かうときは一人でしたが、帰りは知り合った日本人、日系メキシコ人と3人で。仲間が増えて行く感覚はいいもんです。すぐ解散するんですけど。

革命広場は有名ですけど市街からは空港方面に外れてたんで、出国する3人で一緒に革命広場→空港とともにしたわけです。おかげさまで写真の撮りあいなんかもできてありがたかった。

空港では土産も買い足し。タバコとかラム酒とか。自分は非喫煙者ですけど周囲に喫煙者が多い方なので。


さらばLa Habana






ということで、なんとも刺激的な10日間が終わったのでした。

前回の記事で散々煽っておいた割には、受けた刺激は文章にするのが難しいものばかりでしたね。申し訳ないです。特に音楽と人々の雰囲気。まさに、今、実際に、行くべきと言われている所以はよくわかりました。いやー、旅も終盤でマンネリ化著しいはずやのにここまで楽しめるとは。楽しみにはしてましたけど、それでもナメてた部分がありました。参りました。行くべきです。行くべき。
とか偉そうに言うてますけど、トリニダーもバラデロも行ってませんし、僕もまた必ず行こうと思います。米国資本が入るとか入らないとか色々予想されてますけど、どうなろうとキューバの魅力の大半は死なない、永遠である、そう確信しました。いくつになろうとも、また行きたいですね。また行きたい。文末の反復が多いですね。多いです。





残すところはたぶん1記事+αになりました。日本での生活は意外と忙しいですが、なんとか最後までたどり着く予定です。よろしくお願いします。