2017年4月6日木曜日

エクアドル・コロンビア


リオデジャネイロから陸路でひたすら繋ぎ続けてきた旅はいよいよエクアドルまで来ました。エクアドル。意味はズバリ赤道。この国で赤道を越え、北半球に戻ることにもなります。

ペルー・チクラヨからのバスが朝8時前に着いたのはエクアドル最大都市のグアヤキル。首都はキトですが最大都市は海岸沿いに位置するこのグアヤキルになります。リマからずっと海岸沿いに来たことになりますね。
グアヤキルはエクアドル観光の目玉・ガラパコス諸島への玄関になっていることもあり訪れる人は多いですが、僕は何の用もないのでただバスターミナルで乗り継ぐだけ。さすが最大都市-首都間連絡ということでキト行きはすぐ見つかり、すぐの発車でした。さようならグアヤキル。

夕方、キト着。キトはアンデスど真ん中、標高2850m。またえらく登りました。「常春気候」の代表として挙げられることも多いですね。酷暑や極寒の時にトコハルなんていう気候にはずいぶん憧れたものですが、あいにくのお天気。山ですし、ずっと微妙な天気なんでしょう。
さて、キトは言わずと知れたエクアドルの首都ですが、古くから栄えた旧市街の街並みは「キトの市街」として世界遺産に登録されています。それも世界で最初に登録された12件のうちのひとつ!今や毎年ものすごい数の世界遺産が登録されててその価値は下がる一方(※個人の感想です)、そのうち桂浜も世界遺産なるんちゃうかという勢いですが(※なりません)、初年度はすごいことですよこれは。正直世界遺産まわるときも登録年見ちゃいますもんね。2010年代登録とかやと僕は信用しないんですが、圧巻の1978年登録。同年には同国ガラパゴス諸島も登録されていて、12件しかなかったら初年度に二つも登録された国エクアドルだけちゃうの!と思って調べたらなんと5カ国もありました。。。

初年度複数登録がどうとかはどうでもよくてですね、とにかくキトはその街並みが有名です、ということです。ユネスコはキトを「人類の文化遺産」と評価し、キトの人々もこの評価を非常に誇りに思っているそうです。

さて、この街のバスターミナルは南北二つあり、しかもどちらも街からかーなり離れているんですが、市内とはBRTで結ばれています。1時間ほどかかりますが25セントならまあ許せますね。エクアドルの通貨はUSドルです。ジンバブエのように、現在自国通貨の発行はありません。硬貨の鋳造はやってます。USドルと等価ですがエクアドル国外では使えません。当たり前ですね。
キトは旧市街と新市街に分かれ、旧市街の方は人類の文化遺産であるにもかかわらず治安がかなり悪いらしい...ので新市街に移動して宿泊。



翌日午前は企みごとのお時間。アマゾンツアーを探します。
アマゾンといえば思い浮かべるのはブラジルですが、ブラジルは高いし都市部の治安は良くありません。実は多くの南米大陸西側諸国もアンデス山脈の東側にアマゾン川源流域・上流域のジャングルを領有しているんです。ペルーやボリビア発が人気らしいですが今ボリビアは渇水。ペルーは拠点となるイキトスという街が飛行機か船(川を航行する)でしか行けないという凄い立地でアクセス費用がかかる。そこで調べてたらですね、エクアドル・キト発で安く行けるジャングルツアーがあるという情報を発見。せっかく南米来たのにジャングルぐらい行っときたいじゃないですか。新市街の旅行社を片っ端から当たった結果、2泊3日200ドルちょっとで行けることに。ただし出発がこの当日夜。慌ててホテルに戻ってチェックアウト、荷物を出しました。

ちなみにこの日は土曜日で多くの旅行社が閉まってました。これでも粘り倒した方ですが、平日ならもっと安いとこが見つかったりするかもしれません。実際行った人のブログは170ドルと書いてましたので…。

夜行バスでジャングルに行くので、それまで午後は旧市街観光へ。の前に、まずはすごい美味いと噂の中華屋へ。


エクアドル・コロンビア編
1枚目の写真:餃子

あのですね、すごい美味い。中華屋入っても基本最安ラインのフライドライスしか頼まないっすけどね、この噂の餃子は美味い。4ドルほど。これだけで満足ですわ。
新市街ホステル街とBRT通りの交差点からすぐ。昼のみの営業のようです。ぜひ。

餃子を堪能したあとはBRTで旧市街へ。

えらい雨やね
降り出しました。2850mですからね。人類の文化遺産なんて言っちゃってても結局インカ時代の街並みはスペイン人たちのせいで破壊され(破壊したのは当時の住民たち自身らしい)ほぼ跡形もなく、スペイン入植当時からの街並みということになります。クスコとかアレキパに似ますよね。まあ似ますよね。
独立広場



サンフランシスコ教会

夕方には新市街の宿に戻って荷物を回収、再び南のバスターミナルに移動です。ツアーは安いですが、普通の夜行バスに乗って自力で往復しないといけないのですよ。ツアーと呼んでよいのか?

晩メシ
エクアドルのセビーチェです。ペルーのセビーチェとは全く違う料理ですね。エビやらトマトやらのうま味たっぷりスープです。5ドルぐらいしたかな…。

夜行バスはアンデスを東へ下り、標高は1000mを切りました。アルゼンチンからアンデスをジグザグジグザグと忙しいですね、、地図上の距離以上に目まぐるしく移動してます。


思ったよりマトモそうなところに到着
アメリカから来た女の子(たぶん凄い気が強い)が一緒の旅程で、同じ所で降りました。標高がぐっと下がってかなり温度は上がります。Tシャツ+一枚羽織りぐらい。そこまでではない。
この右の建物に事務所があったので2人して行って虫除けを塗りたくりつつ待っていると…



ボートに乗せられた!
これがアマゾンの支流にして主たる移動路です。エンジンボートで10分ほど、
ロッジに到着
ここが2泊3日を過ごすロッジです。電気はあります。水道水は濁ってます。シャワーはヒーター故障につき冷水です。当然インターネットはありません。あと、個室でもありません。さっきのアメリカ人、名前はサラといいますがこの子と6人部屋にぶち込まれました。他に空き部屋あるくせにお構いなし。

早速朝ごはんがサーブされる
ボート乗った時ガイドさんが「ロッジであさごはんが君たちを待ってるよ!」って言うのでどんなあさごはんに待たれてるかと思えば、チーズ、そしてこのフライの中身は、チーズです。なんじゃそりゃ~~~~~~
だいたいバスは30分ぐらい遅れて着いたのにまだロッジで呑気に居たガイドを待ってたのは我々であるぞ!


まあ僕としてはフレッシュジュースが飲めたので満足な訳です。2泊と毎食付きであの値段なので贅沢言っちゃあいけません。僕はビタミンさえ寄越してくれりゃあなんでもかましまへんよ。(ちなみにこの後のご飯はもっとずっとマトモでした。さすがに。)

さて早速、今日はボートでラグーンなる所に行くそうです。乗船!




10分ほど、これは朝バスで着いた所の橋です。5種類の先住民が描かれて居ます。細かな違いがあるんですね。


こんな雰囲気です。めちゃくちゃ良くないすか?



ガイドさんの指差す先
川の上を木から木へ、猿が次々ジャンプしているところでした。



広いところに出る

ラグーンに到着
手前の砂州よく見てください。ワニ!



い〜い天気

昼ごはん
鶏飯。うまい。

昼ごはんはここで食べる
今にもワニが出て来そうな、でも分け入ってみたい小径の入り口。


ラグーンの景観を楽しんだ後はさらに舟を進め、先住民の暮らしを見にゆくコーナー。何気に初めてですね、別に先住民の暮らしとかは映像で見れば満足かなと思ってる方なのでアフリカでもそういうのには参加しなかったですしね。


今は乾季なので倒木が川面の上
無数の倒木が川面近くの水中に位置し、あるいは水面から顔を出し、モーターボートは倒木をよけ、また倒木をまたぐ度にヤマハのエンジンを水面からいちいちあげつつ進みます。のでうねうねと時間がかかる。雨季はもっとスムーズに進めるらしいですが、これはこれでジャングル来た感じもします。写真では分かりにくいですが、何匹もの亀が倒木で甲羅を干し、舟が通るとびっくりして全員ぽちゃぽちゃと水に潜ります。その光景がジャングルっぽいのなんの。
次来るとしたら雨季か、雨季も乾季もあんまし無いような完全な熱帯雨林気候の熱帯雨林に行ってみたく思いますね。


さて原住民の村に到着。


早速畑?に入って

芋を収穫
マニオク。つまりアフリカで食べたあのキャッサバです。今日はこれを使って料理をしていただけるとのこと。


おろし金ですります
これを体験出来るんですがヨーロピアンの芋すりの下手なこと下手なこと!西洋では芋をすることは全くないんですかね。なさそうですね。日本人なら初めてでも遥かに上手くすりおろすと思います。日本ではそこまでではない僕もドヤ顔ですりおろす、すりおろす...



こんな量になる

これを木の皮の袋にのばして

逆光で分かりづらいけども
袋の片方を柱にくくりつけ、もう片方に棒を通して捻って、要は絞っております。

強く絞った芋は軽くこすだけで粉になる

これを熱した鉄板にのばして......

完成
…途中からそんな気はしてましたね。やっぱりね。大都市サンパウロの宿で食べたあのタピオカってやつです。全く同じ。

マリネを乗せるとうまい。そりゃね。

木造高床式住居の集落なのだが
こんなところにまでサッカー場!南米おそるべし。奥地も奥地ですよ。

という、まあ、観光村でした。
帰ります

もう夕方。エンジンボートなのでこんなしぶきがあがる程度には気持ち良いスピードです。それでも2,3時間かかるほど遠いですが。


日も途中で暮れます


翌朝
ロッジ敷地内の大木です。鳥の巣がたくさんぶら下がってます。


この日もやはりボートに乗って、昨日とは逆方向へ

目的地到着

この、ボートのへりに座ってるのがガイドさん
今日は釣り!

それもただの釣りではないですよ!ピラニア釣り!ジャングルの目玉!
原始的な木の竿の先には1cm四方くらいの生肉!水面をバシャバシャと強く泡立てるとピラニアが寄って来るんだそうです。
早速皆生肉を針にぶち込んで糸を垂らします。一人イギリスから来たおっさんがファイバーの竿とルアーを持ち込んでたのが面白かったです。本気やん。

ほんでこれが難しいんですよ。アタリはめちゃくちゃあるんです。ただあいつらほんまにめちゃくちゃ早い。肉だけ持ってかれ続けます。


一人が釣り上げたがこれはピラニアではない
ヴァンパイアフィッシュっつったかな。写真からはわかりませんけど鋭い歯が怖いぐらいあります。さすがピラニアとともに暮らす魚。

ご覧の通りわたくしが釣り上げたわけではないが、
これがピラニアです。僕はついにボウズでした。ちなみに釣り上げた一行はピラニアとヴァンパイアフィッシュを持ち帰り、晩餐には焼き魚が並びました。僕も食わせてもらいました。あんだけ獰猛でも味は淡白でした。



帰り、宿の近くから飛び込んで泳いで帰るファイバー竿のおっさん
彼すげえ楽しそうでした。もちろん僕も楽しかったっすけど、いかんせん結果がボウズですからね。。。

ということで宿に戻ってきた
いちいち青空に大木が映えるんですよねえ。。

現地人スタッフは日常的に泳いでいる

夕方からはジャングルを歩く

長袖じゃないと蚊が気になってしょうがないワイとは違い
余裕のヨーロピアンガールズ

これはアリの巣かな
川も平気で渡る
足を持ってかれるような泥池も
この木なんの木気になる木
幹の中にアリが住む木ですから♪
アリは貴重な食料らしく、ガイドがアリを木から取り出したかと思えば生きたまま食べるではありませんか!「食べなよ」とか言うじゃありませんか!周りの欧米人も割と当たり前みたいに食べるではありませんか!!

...食べましたよ、生きたアリ。「レモンの味がする」との説明通り、レモンのような味しました。食感は当然レモンとはほど遠く舌をつままれるような感覚、もとい舌をつままれる感覚です。


道無き道になってきたぞ...

苔むした倒木を渡るのは怖すぎる
しかも一度実際に僕の前の人が渡ってる最中に折れましたからね、丸太。ジャングルはじゅうぶん味わいました。

夜もウォーキングに出かける
この写ってる女の子はキトから一緒に来たアメリカ人女子のサラです。何も怖いものはなさそう。
まだ宿の敷地でてないぞ
ロッジにジャングルっぽいカエル。






【ちゅうい!】ある程度察しはついていると思いますが、このあと8本足のアイツが登場します!苦手な方はサササッと飛ばして下さい。



















おっ...

ででーーーん


なんとまだ敷地を出てないんだなあ。。。敷地内に普通にタランチュラおるんかい。。。


基本的に刺したりしないらしいので手で誘導するガイド

ズボンをのぼるタランチュラちゃん
このズボンの主、サラです。余裕の表情。実際に怖いものないんやなたぶん...。さすがにタランチュラにズボンのぼられたら無理やわ俺は...。


ジャングルナイト

葉っぱの上に大きなナナフシ

ガイドの腕に脚の長いクモ

ガイドの肩に脚の長いクモ



【閲覧注意箇所ここまで】

という感じで、しょっぱなにクライマックスが来たので敷地を出た後はどうってことのないツアーでした。冷静に考えて脚の長いクモが腕やら肩に乗ってるのは悲鳴あげてもおかしくなかったけどな、なんせタランチュラが女の子のズボンのぼった後やからな...。


翌朝、午前中はロッジでのんびりして終了。行きにバスが着いたところまでジャングルの中を若いスタッフが徒歩で連れていってくれました。陸路でも行けるんかい。。。

何もない道でまたしても公共のバスに乗り込み戻ってゆきます。普通はキトに戻るらしいんですが僕はキトにはもう用事はないので途中のターミナルからコロンビア国境へ直接抜けます。もう一度アンデスを登りトゥルカンという街へ。(オリエンテ地方=アンデス東側低地の地方からもコロンビアに渡れるんですが、キトの旅行社のおじさんもロッジのガイドさんも「危ないからやめとけ」の一点張りなので回避。エクアドルの人が口を揃えて「危ない」っていう国境どんなとこなんや...。)

早朝にトゥルカンの町に到着。町から国境まで乗合タクシー。夜行バスで寝ぼけてサブバッグにかけてるナンバー錠のナンバーを変えてしまったらしく、バッグが開かない事態に。なんとかこじ開けてもらいましたがここでナンバー錠はお釈迦になりました。予備のナンバー錠の出番が来るとは思ってませんでしたね。予備だいじ。

国境の橋
なぜかコロンビア側に降ろされ、一度エクアドルに戻って出国、再び橋を渡ってコロンビア入国。降ろされた時はどっちがエクアドルでどっちがコロンビアかわかんなかったんで、こういう時地図をダウンロードしとくってのは大事やなーと思いましたね。迷いかけながらも確実に出入国手続きを済ませ、乗合タクシーでコロンビア側のイピアレスの町のバスターミナルまでは再び乗合タクシー。

カラフルなイピアレスのバスターミナル
乗合タクシーを降りて2分ぐらい経ったところで、今度は乗合タクシーの中にサブバッグを忘れてきたことに気付きます。大失態。もう終わった。貴重品ぜんぶあの中や。コロンビアでバッグが返ってくるわけがない......

と思いきや、乗合タクシー降り場のおっちゃんが連絡を取ってくれ、あっさりバッグは戻ってきました。めっちゃ冷や汗かいた...どんだけ寝ぼけてたんや...ジャングル疲れかな...。こういう時オフライン翻訳をダウンロードしとくってのは大事やなーと思いましたね。

途中の町には特にさしたる魅力を感じなかった上に時間もなくなってきたので、首都ボゴタへ直行。


ほぼ丸一日かけボゴタへ
コロンビアのバスは安くないんですが、かなり快適やったので別に長くありませんでしたね。


例によってBRTで市街地へ
大違い。大都会です。ちなみにBRTはトランスミレニオと呼びます。この写真からはあまり想像できませんが標高は2640mらしいですよ。にしては随分平らな土地です。高原ですね。

旧市街の日本人がよく集まる定番宿へ。日本人はいませんでしたが韓国人が何人か。そのうちの一人とは特に仲良くなりました。
さて早速ボゴタ散歩といきたいところですが、なんせここは名高いコロンビアなので安全情報も含めてまずは宿のスタッフさんに歩き方を伺います。バックパッカー宿のスタッフってどうしてこうも親切なんでしょう。


ひるごはん
コロンビア料理としてオススメのレストランでまあまあの額を出しましたが、んー、まあこういうのはここまでの南米諸国でもメルカドでさんざん安く食ってきたなあという...。

通りにはラクガキの域を超えたアートが

ボリーバル広場
綺麗な夜の公園
意外ときちんと場所を選べば夜でも歩けます。コロンビア第二の都市メデジンでは悲しい事件が起こってしまいましたが、ボゴタやメデジンは南米の大都市の中ではかなり安全な方なんです。南米の大都市の中では。
しかもなかなか観光業には力を入れているのか、文化的にも面白いなあと感じました。北米・中米から南米に入る多くの人がペルーのリマから入って南下するようですが、コロンビア・エクアドルを飛ばすのは実にもったいない。実にもったいないですよ。

夜は今後のルート選定です。この日と翌日を使ってアメリカ合衆国までのルート選定・飛行機の予約を済ませたわけですけども、非常に時間を食いました。どんなルートになったのかはお楽しみということで。

翌日はボテロ美術館へ。ボテロというのはコロンビアを代表する芸術家のようで、登場するもの全てがぽっちゃりするという謎の作風だそうです。美術館はボテロの作品以外も多数収蔵しているのですがなんと無料。なんとピカソの作品もあります。たぶんだいぶ無名なやつですけど。モネとかダリの作品が多かったような。


これがピカソの絵である

中庭

これがボテロの絵画
右が代表作、モナリザです。確かに噂通り、だいぶふざけている。
まあ、こんなぽっちゃりな人ばっかり描いてるんでまだ分かるとしましょう、モナリザは。左の花束が太ってるのはこれはどういうことや。

まあ、ボテロに関してはどないやねんのオンパレードでした。面白かった。撮影自由なのもすごい。

あと、コロンビアといえばエメラルドも有名です。
宝石屋通り
んー、さすがに超高いので手が伸びません。

露天商も結構いる
こちらは安かったりもしますが目が利かないので手が伸びませんね。

ゴールドも有名です。なんかいちいち危険なイメージにぴったりの名物ですね。

黄金博物館

ということで出土品が非常に多い
嫌というほど金を見ました。

おやつ

ばんめし
ファストフードも多いですね。上はチキンがぎっしり入ったピタパンみたいなやつ、下はゆで卵がまる一個はいったコロッケです。コロッケはかなり美味かったしボリューミーなのでこれで一食にじゅうぶん。エンパナーダなんかもやっぱり結構売ってます。ピザとかもね。
この晩飯を食ってるのは自分の宿ではなく、もう一つの日本人定番宿です。ふたつは系列店なんですが、運悪く僕の泊まってない方に日本人がたくさんいらっしゃったのでお邪魔しました。お邪魔したのにはもうひとつ理由があるんですが。。。

先ほど韓国人と仲良くなったと書きましたよね。その韓国人はコロンビアに留学中でもう何ヶ月もそこに泊まってたんですけど、その彼がサルサ・バーに連れてってくれるというんですよ。そこで日本人も何人か巻き込もうという魂胆だったわけです。

そして目論見は成功。

これは事前練習の風景
サルサ・バーというのはクラブみたいなもんで、サルサ(音楽)をかけながらサルサ(ダンス)を踊るというものです。踊りにはお作法があるようで、事前にこうして宿のスタッフが教えてくれているわけです。バックパッカー宿のスタッフってどうしてこうも親切なんでしょう。


そしてこちらのバーに乗り込む

踊り狂う人々
一言で申しましょう。最高でした。サルサを爆音で聴くのがこんなにも気持ちいいものだとは。
ちなみに2ドリンク代で入れます。安いもんですね。

踊りの方は...残念ながら...。僕らのパーティーの中には一人だけ韓国人の女の子がいたんですが、彼女だけめちゃくちゃ踊れてました。何故でしょう。何故かというと、サルサの踊りというものは男女が1組で踊り、しかも男性がひたすらリードするものだから、です。女性であれば踊りの上手なコロンビアボーイがひっきりなしに踊りに誘い、リードされるがまま踊っているうちに上手くなる、と。3,4時間ぐらい居たと思いますが、帰る頃には彼女だけめちゃくちゃ上手くなってました。女の子は行くといいよ!超楽しいと思う!道中のことを考えると男性連れてった方がいいと思うけど!

一方のわたくしを含む男性陣は...。まあ、なんか、なるようにはなりました。何度か頑張って誘って踊りました。おばちゃんはリードしてくれます。もしかしたら現地ではすごい滑稽に見えるのかもしれませんが、そういう恥はかき捨てです。踊らなくても大音量のサルサを聴きながら現地人の盛り上がりを見てビールを飲む。これでじゅうぶん楽しいじゃありませんか。ええ。


翌昼はその韓国人のみなさまとメルカドへ。安かった。

ひとりでケーブルカーに乗りに行く

モンセラーテの丘

丘の上に教会
と思っていたけれど今写真を見るとツリーのてっぺんにダビデの星があるようにも見えるしシナゴーグなのかもしれない。

絶景
ケーブルカーで丘に登ることは特にヨーロッパで多くあったんですが、ヨーロッパの街と違ってボゴタはこの麓から高原じゅうに広がって行くのでヨーロッパではありえない、気持ちのいい景色になります。

これはなんでしょう。
帰りのメキシコ系コンビニで見つけた軽いケーキみたいなもんですが、この日はなんと12月24日。クリスマスケーキです。僕のクリスマスケーキ。
この日で大学入学以来4度目のクリスマスイブですね。余談ですけどクリスマスイブって、そのーまあ、なんというか、我々にとっては非常に忌々しかったりするじゃないですか。イブに街歩くのしんどくないですか?僕は出来るだけ俗世離れをしようと思いまして、これまでの3回のクリスマスはそれぞれ高野山金剛峰寺、比叡山延暦寺、永平寺に一人で行ってるんですよ。何度も言ってますけど無神論者ですし神も仏も無いと思ってますけどね。

4度目はボゴタでした。俗世離れの極み。たいへんいい気分です。ちなみにコロンビアはカトリックの国なのでクリスマスは家族で厳かに過ごすものなんだそうです。日本もやるならそうあれと思いますよね。



という捻くれマインドなわけですが、宿の例の韓国人がこんどはクリスマスパーティーに行こうじゃないかと言うわけですよ。はあ。クリスマスパーティー。どういったものでしょうかそれは...?

聞くと、交換留学生をやってた時の交換先だとかで、現地のコロンビア人に友達がいるんだそうです。で、コロンビアのクリスマスを満喫すべく、そこへ行くんやけど君もどうか、というわけですよ。


そら行くやろ

うん。そら行くやろ。
まあなんかそんな派手なパーティーって感じでもなかったですが、これがコロンビアのクリスマスなのかもしれない。日本人が僕一人なので会話に苦労しましたが、面白かったです(こなみ

宅配ピザをとったんですよね。宅配ピザ。でも一時間経っても来ないんですよ。まあそこまではわかりますよ、南米やし。クリスマスイブやし。ただ電話かけてみたら「今日はクリスマスイブで忙しくて時間がなくなったから、閉店した。」とのこと。
全然意味がわからない。注文が残っているのになんで閉店できるんでしょう。「あなたがたの注文はキャンセルされた」じゃなくてさ。キャンセルしたならしたで連絡しろよ。客は、メシを、待っているんだぞ。どこまでラテン系なんでしょう。さすがに家主のコロンビア人もびっくりでした。

そして23時ごろに宿に帰ると、


この有様な訳だよ
あーごめんごめん。ただのホームパーティーをこれがコロンビアのクリスマスとか言ってすみませんでした。なぜ宿のフロントが深夜帯にサルサバーに様変わりしているのか。

引き続き騒ぎたい気持ちはやまやまでしたが、僕には翌朝があったので寝なければならないのでした。。。。







翌朝

というわけです。ボゴタから飛びました。これにて僕の南米大陸はあっけなく幕切れ、というわけです。あっけなさが伝わったでしょうか。

ほんとはメデジンに行って、それからカリブ海沿いの要塞都市カルタヘナまで行って、カルタヘナからフェリーでパナマまで渡ろうかと思ってたんですよ。ところがこのフェリーは2014年で情報が途切れていて、スタッフも含めたリサーチの結果どうやら営業をやめてしまってるみたいでした。残念すぎる。
パナマまでは地図上は陸続きですが、このコロンビアとパナマの間の中米の付け根の部分はならず者が跳梁跋扈する極めて危険な場所で、それゆえ道もありません。パンアメリカンハイウェイも一旦途切れています。傭兵を雇い、ジャングルの中をひたすら命がけで突き進まなければなりません。というわけでパナマへは飛行機か、アンオフィシャルな乗り合いボートを乗り継いで(しかも合計金額はだいぶ高いし荷物は水没する)行くしかありません。はい飛行機。

そういうわけです。南米、魅惑の大陸でしたね。盛りだくさんでした。アンデスを何度も上り下りしました。飽きるほど長距離バスに乗りました。約2ヶ月も時間を使いましたが、いやいやまだまだ、全然足りませんよ。3ヶ月でもよかったと思います。また行きたいですね、特にブラジル!


さあ、中米へ。北米は先進国も先進国なので、これで最後のフロンティアになりますね。いったいどこに降り立つのでしょうか!






......と盛り上げたところで、人格を現在の自分に戻します。
えー、こんなに更新が疎であるにもかかわらずチェックしていただいているみなさま、いつも本当にありがとうございます。

ものすごくぶっ冷めること書きますよ。いいですか。わたくし只今、絶賛就活中でございます。そうですよね、まともに現実に直面すれば、そういうことになりますよね。そういうことになっております。時間があればこうしてまたお会いしたいのですが、なにぶんこういう身分なもので、就活が決まるまではご無沙汰になるかもしれません。時間が作れれば5月でもいけるかもしれません。先のことはわかりません。

中米編以降の更新までは、またしばらく間が空きます。ブログでの時間がクリスマスなので旅はあと1ヶ月少し。どうにかこうにかブログの旅も完結させたいのですが、いかんせん中米も濃いんですよ......。マンネリのマの字もなかったです。おたのしみに、でも気長に、ってのは贅沢すぎる要求ですね。どうか気長に...。