2016年7月31日日曜日

ハボローネは何もできなかったが... -ボツワナ2日目=南アフリカ1日目-


そして午前0時過ぎ。やっぱり真夜中にハボローネ到着。治安が比較的安定している都市とはいえ、一番やってはいけないやつをやってしまった。。。このボツワナという国は安宿というものが全くないらしいのです。そしてあるにしても、アフリカで深夜にタクシー移動はしてはいけません。タクシー強盗というやつに遭うからです。なんという大陸でしょうかね。全員降りたバスのドアからタクシーの客引きが首突っ込んでホテルホテル言ってるのが怖すぎます。そいつらを無視して、ザンビア国鉄の時を思い出しながらドライバーに向けてめっちゃ困って途方に暮れてるアピールをしたのち「朝までバスで寝かせてくれない?」というとしぶしぶオーケーしてくれたので、お言葉に甘えて朝まで寝させていただくことに。助かった。。。

そして無事朝を迎えた。スーパースパー。
しょうもないこと言ってないで歩き出します。ハボローネは本当に見るものがないらしいので朝のうちに街を歩いてしまって、そのまま南アフリカに行くことに。南アフリカといってもヨハネスブルグは世界一治安が悪いという話もあるので避け、ヨハネスブルグから北60kmに位置する首都プレトリアを経由することにしました。このバスターミナルでプレトリア行きを探すも、案内されたのが完全にミニバス乗り場。ツーリストバスを探して街中へ。偶然発見したインターケープ社(南アの有名バス会社)のオフィスが閉まってて、おそうじオバチャンに「24時間営業のメインモールに行けばなんでもある」と教えてもらいました。なるほどハボローネはメインモールを中心に作られた都市と見た覚えがある。早速メインモールへ!


メインモール

思てたんと違ーーーーーーーーう!!
なんやこの早朝の大学キャンパスみたいな空間は!そして今は日曜朝、ほとんどの店は閉まってます。こんなもんを24時間営業とは呼ばんのじゃ!メインモールではなく隣の筋にあったバス会社もセキュリティが一人いるだけで、この路線は早朝に2便とも出てこの街からはもうない、と。なんにもできひんやないか!お腹を空かせたまま、とぼとぼと元のバスターミナルに戻ります。


中心の公園
ベンチにボツワナ国旗のデザインがあしらわれてますね。国旗の色合いもアフリカっぽくないよなあ。


意味深そうなモニュメント

線路をわたる橋から。
やはり発展を遂げてはいるようです。すごい。

再びバスターミナル
オレンジ1プラ!!!昨日からスプライトとコーラ1缶ずつしか飲んでないのでお腹ぺっこぺこの喉からっから、飛びついてしまいましたね。美味すぎてアンコールまでキメてしまいました。2個食って約20円。素晴らしい。やはり土地のものは素晴らしいですね。しかしさすがにこれだけでプレトリアに向かうのは心許ないので、

スーパースパーでしっかり腹ごしらえ
量り売りサラダ。ちなみにこのほかピザも大きな一切れ購入、あわせて25プラぐらいでした。久々の栄養価たっぷりごはん、お腹にしみます。

9:30。プレトリア行きミニバスに乗り込みます。人数が集まるのを待つこと2時間半、発車。...。待つこと2時間半て。マイナー路線を選んでしまうとこういうことになります。ここまでたくさんミニバスに乗ってきて学習した通り、ここで何を言っても全く効果はないのですが、さすがに11時ぐらいからは早く行こうやーとか言ってました。何を言っても「(日本人なら)ジャッキーチェンとかブルースリーみたいに、後ろ向きに飛ぶやつで行けばいいじゃないか」「アフリカ人はみんなカニバリズムだから、文句を言ってると食べられちゃうんだぜ」みたいなことしか返ってきません。さすが。出るかもわからないバスをみんなどういう心境で2時間半も待てるのか。。。

越境はだいぶ簡単でした。南アフリカもビザ不要国です。助手席で寝てると口々に起こされ、なんやねんお前らと思ってると「安全上の理由で、助手席で寝てると逮捕される」とのこと。ほんまかいな...。寝たいなら後ろ行けと言われてほんとに後ろの席に移動させられたので、本当っぽかったですけど..。

やはり日は無情にも暮れ行く
プレトリアに着いた時は真っ暗ではありませんでしたがほとんど夜。2時間半も待たされなければこのまま徒歩移動キメて夜行に飛び乗るとこやったのになあ...。南アの治安は最悪、ここはヨハネスブルグほどではないにしろ地方からの人口流入に伴う治安悪化が叫ばれてて、これはタクシーもやむなしかと思いましたが、ミニバスで一緒になった車内でもずっと麦わら帽子かぶってるおとなしそうな青年がバスターミナルまでついてきてくれました。4社まわって全滅だったんですが、その間もずっとついててくれた彼が「向こうにハウトレイン社のオフィスがあるんだ。歩いていってもいいけどファザーを呼んだから10分待てばファザーの車で行けるよ!」と。マジか。優しい人はいるもんです。本当に親切で言ってるっぽかったのでそうさせていただくことに。

さすがに10分も待ってると(ファザーはファザーでもゴッドファーザー的なファザー出てきて暗いとこ連れてかれて全部持ってかれたら一時帰国エンドやな...)とか考えましたが、フォードのゴツめの車から出てきたのはジージャンにキャップにサングラスのイカしたオヤジ。一安心。さらに麦わらの彼はお母さんにも電話してくれてハウトレイン社の空席を確認してくれました。結果そもそもすでに便がないことが判明。まあ夜も遅いですからね。。もっと近場の適当な街までの夜行に乗って乗り継ぐことにしようかと思いましたが、お母さんが「困ってるんやったら泊まっていったら」と。これは考えちゃいますよね。あの治安が悪いと噂の南アフリカで、現地人の家に泊まるのか、、、。結局僕はこの親子の雰囲気を信用して泊めてもらうことにしました。初の現地人宅ステイ。緊張。

途中ロードサイドの大きなモールの中のバーに入って晩御飯調達。お父さんはビール飲んでゆっくりしてます。ん?運転手では?
父「俺がここのチーフなんだよ」
わたし:シェフ?
「チーフ!ボスのこと!」
あーチーフね、このバーのボスなんですね!
「いや、このモールの」
このモールの!?

いい車乗って金持ちそうやなーとは思った。確かに。まさかモールで一番偉い人とは。チーフはビールの入ったグラスを持ってそのまま車に戻り、運転しながら延々カーステレオでカントリーロードのメロディを取り入れたレゲエをヘビーローテーションしながらお家に向かいました。

もうだいたい察しはついてましたが、お宅は豪邸。ガレージには車が3台もあり、部屋はいくつあんねんという。空いた部屋があるといってダブルべッドがどーんと置いてある個室に通され、もちろんシャワーも使わせていただき、モールのバーで買ってきたハンバーガーをご馳走になり、もうほんと至れり尽くせりでした。南アフリカ共和国は格差がとても大きいとは聞いてましたが、確かにこれはアフリカの人々の暮らしとは思えません。。。ちなみにこのご家族は黒人、家も新興高級住宅地の雰囲気。住宅地の入り口にセキュリティのためのゲートがあるくらい。つまり新興富裕層ということになるんでしょうかね。

家族はみなさんとてもあたたかく、おふとんもとてもあたたかく、ギリギリの弾丸移動を続けてきて疲れ切った体を休めることができます。感謝しきりです。ありがとうございます。。。家族の皆さんとお話しさせていただいて、ゆっくり寝させていただくことといたします。


2016年7月30日土曜日

移動はつづく -ジンバブエ2日目=ボツワナ1日目-


明け方。

寒い。

なんだこれは。そう。ウガンダで赤道を越えてからすでに久しく、熱帯アフリカはとうの昔に終わっていたのです。ここは南半球、今は冬。日本ではありえないほど海から離れているので昼夜間寒暖差も激しい。そしてこのボロ汽車の保温機能のなさ!!!!!いろいろ相まってめちゃくちゃ寒くて起きてしまい。奥底で圧縮したダウン以外の全ての衣類を可能な限り重ね着してまるくなって耐え、朝日が上がってくるのをひたすら待ちました。太陽がこんなにありがたく感じられたことはなかったですね。ストーブに当たるみたいにして日の光に当たってて他の乗客からはだいぶ奇妙なものを見る目で見られましたが、逆にあなた方はなんで大丈夫なんだと問い詰めたくなったことです。


豪華寝台列車とすれ違う一幕も
PRIDE OF AFRICA。ロボスレイルという会社が運営するアフリカ屈指の有名豪華寝台列車。南アフリカからボツワナを通ってジンバブエ、ザンビア、果てはタンザニアまでつながっているレールに乗り、今日もどこかへ行ってるというわけです。もしかしたらダルエスサラームに向かってるのかも、と思うとワクワクしちゃいますね。

優雅にお紅茶を飲んでいらっしゃる
もうほんとね、すれ違う間じゅうガン見しましたけど、格差すごかったですよ。ま、向こうは何百ドルも払ってるはずですからね、一晩10ドルしか払ってない我々と大きく違うのも当たり前ですが。いつかはあーいう列車にのってみたいもんです。あーいう列車に乗るとき、その舞台にアフリカを選ぶかと言われれば微妙ですが。。。


かたやこちらの素敵なボロ汽車

知らんうちに前のほうに石炭貨車がくっついている

なるほど夜中なんべんもガッシャーン言うと思ったらこんなもんをぶっつけてたんですね。そりゃガシャンガシャン言うわ。石炭とともに、一路ジンバブエ第二の都市ブラワヨを目指します。朝10時とかには着くって話でとうに10時はまわってますが、さすがに予想してました。こんなんが定時に着いたらビビりますからね。

そこここにこういったボロ貨車が野ざらしになっていて雰囲気はある

食堂車。ビールとコーラしかない。
なんとレトロであろうか。

12:00過ぎ。やっと到着。

ジンバブエ第二の都市、ブラワヨ。

やー着いた着いた。

お昼に見てもカッコいいレトロな車両

ブラワヨ駅舎
ブラワヨは大きな街ですが見るものは特にないので(ほんとは世界遺産の遺跡が二つもあるらしいけど言われも知らん石の遺跡はもうたくさん)、次を目指します。今回はボツワナ経由で南アフリカへ。直接南アフリカに行くこともできますがボツワナに行ってみたかったのはですね、ボツワナにちょっとだけ興味がわいたからなんですね。さかのぼること1,2ヶ月、アフリカ最安サファリがあると噂のボツワナ北部・チョベ国立公園について調べていた時のこと。ボツワナのウィキペディアの独立(1966年)後の欄に以下の記述を発見したのです。以下引用。

独立当時のボツワナは最貧国の一つであり、国内インフラストラクチュアも無いに等しい状態にあった。初代大統領のセレツェ・カーマは、白人主導のアパルトヘイト政策を採用する南アフリカ共和国や南アフリカ共和国の占領するナミビア、イアン・スミス白人政権のローデシアに囲まれた地勢の中、人種間の融和を重んじ、周辺国との関係悪化を避ける慎重な政策を取った。幸運なことに、独立直後の1967年に国内で世界最大規模のダイヤモンド鉱山たるオラパ鉱山がデビアス社によって発見され、この収益が初等教育・医療・インフラストラクチュア整備といった分野に回されたことが、ボツワナの経済発展の礎となった。また、独立後、セレツェ・カーマ大統領は1969年の国際連合総会で反人種主義を宣言した後、1970年にソ連と、1974年3月に中華人民共和国と国交を結び、1977年にはローデシアとの国境を封鎖した。セレツェ・カーマ大統領は1980年に死去する。
後を継いだ第2代大統領クェット・マシーレもセレツェ・カーマの政策を継承し、その後も1999年までボツワナ経済は世界最長の景気拡張と世界最高の平均経済成長率を記録し続けた。1990年代以降、ボツワナは深刻なエイズ渦に見舞われている一方、国民一人あたりの総所得は2012年時点で6,994ドルまで成長している。

引用終わり。


え?カッコよくない?なにその成長の仕方。というわけで首都ハボローネに寄り道してチラ見してから南アフリカには入ることにしました。ハボローネ行きの夜行バスを探して地図上唯一のバスターミナルへ歩いてみます。


だれなんやろ

なになんやろ

バスターミナル到着

思てたんと違ーーーーーう!
忘れてました。アフリカでバスといえばこいつでした。ミニバス(ここでの呼称は「コンビ」のよう)に夜行は当然ないので、ツーリストバス会社を探して再び歩くことに。人に聞きまくったところ、どうやら警察署の向かいにあるということで警察署の向かいへ。止まってます止まってます。ヨハネスブルグ行きのツーリストバス。やっぱり南部アフリカの交通のハブはヨハネスブルグなんやなあ。

わたし:今夜の夜行でハボローネに行きたいねんけど。
「今日のは朝早くにもう行ったよ。」
えー。。この街安宿ある?
「ないねー。ヒッチハイクで国境越えて、ボツワナ側すぐにある大都市フランシスタウンから国内便の夜行バスで行くしかないね。」
そう。南部アフリカではヒッチハイクがかなり浸透しています。運転手にお金を払って乗るのがスタンダードである代わりに、すぐに乗っけてくれる車を捕まえられるんだとか。

「ヒッチポイントまでは俺のタクシーに安く乗っけてってあげるよ。」
いやお前タクシードライバーやったんかい。でもバスがもうないのはみんなが口を揃えてるので事実っぽい。仕方もないのでこの話に乗ってみることに。地図を見ると約12kmの移動とのことで、なんとか16ドルまで下げて乗車。すると3kmぐらいしかいかないうちにどっからか国境行きのミニバス捕まえてきて乗り換えさせられます。あれ?12km乗ってヒッチハイクじゃないの?ミニバス?

すっかりハメられました。あいつら3kmしか運ばずに16ドルも持って行きやがった!めっちゃめちゃ腹立つ。ミニバスは客探して一向に国境に向けて動きださんし。乗り換えろと言われた時に拒んで12kmきっちり運ばせるのが正解でした。タクシー乗ってすっかり安心して頭まわしてなかったわけです。言われるがままになってしまった。許せん。

仕方がないので気長にミニバスに乗り国境へ。この区間は5ドル。そして越境は比較的スムーズでした。ボツワナは日本人はビザいりません。ジンバブエでボツワナプラも流通しているからか国境近くには両替商はおらず、国境のセキュリティに頼んで少し両替してもらいました。越境後はまたミニバスに乗り込んでフランシスタウンへ。20プラ(約200円)。ただ値切った結果なので定価は25プラらしく、地元の人も25で乗ってました。。

朝から食べ物にありつけていないのでなけなしのコーラも美味い

日は無情にも暮れ行く
フランシスタウンに着いた時はまっくらでした。治安が安定したボツワナ第二の都市と聞いてましたが、夜は気味が悪いほど街が静かでいかにも危なそう。これはタクシー移動やむなしかと思いましたが、ジンバブエ側のミニバスから一緒で事情も話していたボツワナ人が僕と同じく夜行バスでハボローネに行くということなのでついていくことに。結果すでに出発して街をでようとしていたバスをつかまえて飛び乗り、これでなんとか無事ハボローネへ向かうことができます。フランシスタウン着いた時彼らは「終バスの時間過ぎた」的なことを言っていたような気がするので、もしかするとめちゃくちゃ危ないとこだったのかもしれません。このルートはオススメできませんね。まあでもとにかく、今日のところはなんとかなりました。幸い席もそこまで混んでおらず、上半身を横にすることができます。ゆっくりできますね。




わたし:ところで何時に着くの?
「今が19時過ぎやから...、だいたいミッドナイト(0:00)だね!」
え???は?????え???????はあ?????????一番困るねんけど!!!!!


明日につづく




2016年7月29日金曜日

ビクトリアフォールズ -ザンビア7日目=ジンバブエ1日目-


今日の記事はおびただしい数の写真を貼りますので、もう先にあらすじを書いてしまいます。画像を読み込む環境がよろしくない方は別に写真なんか見なくて良いと思います。。

そもそもここリビングストンは世界遺産・ビクトリアの滝の観光拠点となるお膝元都市です。ビクトリアの滝はザンビアとジンバブエの国境にあり、世界三大瀑布のひとつに数えられる世界的に有名な滝です。行かない手はないですね。旅路としてはジンバブエに入らず(ビザ代がかかるし)ザンビア側からだけ眺めて戻ってザンビアからそのままボツワナに入って南下しようとも考えましたが、ボツワナ国内を南下するプランでは公共交通が充実してないとか安宿がないとかいう話で少々困難そうだったのもあり、もうせっかくなのでビザ代払ってジンバブエに入って、滝をジンバブエ側からも見て、そのままジンバブエを南下し、ボツワナにもせっかくなのでちょっとだけ触り南アフリカに突入することにしました。地図がないと何も理解できない説明をしてるんでしょうね今...。
つまり今日はバックパック背負って、

ビクトリアの滝(ザンビア側)観光→越境→ビクトリアの滝(ジンバブエ側)観光→夜行に飛び
乗り南下

これをやります。

まずはスーパーのサンドイッチ食って、滝へ。街から10kmないぐらいですが、宿から毎日朝10:00に無料送迎ミニバスが出てるので利用します。めっちゃいいサービスですよね。往路しかないんですけど、僕はどのみち往路しかないですし。国立公園なので入場料20ドルを取られます。まあ自然遺産には払いますよ僕は。バックパックはセキュリティスタッフに言うと後ろの倉庫みたいなとこに置かせてくれました。当然無料。
さっそく公園内へ。(チケット売り場から入り口までの間にチケットを落としてだいぶ焦ったのは内緒である。気づいたところの100mほど手前に落ちていた...)

それでは、選びきれなかったが故に膨大な量になってしまった写真の数々を、ウンザリするほどご覧いただきましょう。

公園の入り口はおどろくほどこぢんまり。
もうこの時点でちょっとドーっと聞こえている...
サルがめっちゃいます。
サルがめっちゃいるのでカフェもこんなことになっている

立体地図が用意されている!...がこれを見てもよくわからない

見えた!見えてしまった!

おおおーーーーっ
伝わりますかね、、、右手前から右奥まで、この谷に右手から流れ落ちてるのが全部滝です。自分がいる左手の土地があるために幅が広くとも全貌が遠くから眺められるわけではありません。。。


ビクトリアフォールズ橋が遠くに。あれが国境の橋です。

ナイフエッジ橋
この橋付近では水煙が体にかかります。当然右手側から一度滝壺に落ちた水なわけですが、水煙となって再びあがってくる深さというのが...↓

ひょー

先端、デンジャーポイントに到着。
向こう(左奥)はジンバブエ。
当然歩いては渡れず、大変な遠回りをする必要がある

滝に目がいくがこの地形も地味に凄いと思うんだ
ちなみに虹は当たり前のようにずっと出ている

ジンバブエ側先端をよーく見ると...
こちら、ザンビア側には手すりがちゃんとあるんですが、向こうはないっぽいですね。スリル満点...。

出発点から上流方向にも歩けます

これが滝に落ちる直前のザンベジ川

さらに滝壺から離れた位置の谷底にも降りられる
中央ちょい右のちっちゃくなってる橋が先ほどのナイフエッジ橋

アフリカっぽいねえ

到着
滝が見える幅はかなり狭いですがビクトリアフォールズ橋の下に出られます。この橋は国境の橋という以上に

バンジージャンプのメッカなのである
高さ111mとのこと...。ようやるわ。鷲羽山ハイランド(岡山県)でバンジー飛んだ時は30メートル、あの時でさえこれ以上高いの想像できひんと思いましたからね。飛んでも意味不明でしょうね。ちなみに一回飛んで160ドルという話です。ほほう...おねだんのほうもなかなか....。

鷲羽山と違うのは
飛んだ後地面に降りるというわけにはいかない点

スタッフが飛んだ人を回収しに行っている

左手に橋がある、中央奥が滝、右がザンビア先端デンジャーポイント
...つまり「111mあるビクトリアフォールズ橋から飛ぶこと」はできても、肝心のビクトリアフォールの方は飛びながら満足に見えるわけではないんですね。。。

こっちから登ってきた
このへんでゆっくりしていた欧州人家族のお父さんに僕の写真を撮ってもらいました。 そしてゼエゼエ言いながら登って帰り、途中で休んでいるとあとから彼らが涼しい顔して登ってきます。まあこれについては僕の体力、特に持久力が絶望的なので仕方ないんですが、彼らと一緒に斜面のベンチで休んでサル見ていると「日本のどこから来たの」というので「京都。京都を知ってる?」と答えると(←もうなんのためらいもなく京都と答えるようになっている)、「キョート!いいね、1年半前に行ったよ!オレンジのゲートが有名やんね!」。これが平安神宮でなく伏見稲荷とかであってほしいと願うばかり。

「そういえば日本でサルを見たよ!えーと...ユダナカ?」湯田中!?湯田中行ったの、俺も行ったことないのに!「温泉に浸かるサル見たよ、絶対行くべきだね」とのこと。素晴らしい旅をしていらっしゃる。。。写真も見せてくれましたが、雪が積もった温泉にニホンザルが浸かっているカンペキな写真。ほんと、僕は日本も満足に旅してないうちから何やってんだか。日本の大人は時間が取れないので順序がこうなるのも仕方ないんですけど。
上に戻ってパックを回収、いざ越境。

線路も並走するビクトリアフォールズ橋
今は旅客便は無いという話ですけど。

橋の上から滝はこのぐらいだけ見えます
越境は混んでましたが、ビザは普通に出ました。シングルビザ30ドル。ひー。ジンバブエ側の公園に行ってザンビアに帰ってくるだけの人とかもいっぱいいるらしく、越境はスムーズにできるようになってますね。
ジンバブエ側にもわざわざ行く理由としては、ジンバブエの方が幅に占める割合も大きく何より水量が豊富ということのよう。

越境後すぐにジンバブエ側公園の入り口が。
まあせっかくこんなとこまできたのでね、払いますよえーえー。30ドル。ひーーー。荷物は同様に係員がみといてくれます。

いやめっちゃ壮観やん

見るからに水量も豊富、間近では迫力満点。

雰囲気が全然ちがう。。。虹もなんか増えたぞ...

このもやは水煙。
今は乾季で水量はちょっと少ないぐらいらしいですが、地元の人たちが「いい季節にきたね」と言ってくれます。瀑布を見に来たのに水量が少なめの今がいい季節とはどういうことかと当初は思いましたが、これは納得。これ以上水量が増えたらびしょ濡れになるし水煙がすごすぎて何が何やらってことになるでしょう。ちなみにもうちょっと後の時期なら流れ落ちる直前のめっちゃ怖いとこで泳げたり、もっとカラカラの季節なら滝壺に降りられたり、季節によっていろいろ用意されてるみたいです。

さっき見た先端に近づいてきた 
RainbowFallsの看板の向こうに実際に虹があるのイイ

先端に到着、右向こうはザンビア
先端の岩が柵代わりになっていて安全でした

こういう写真を撮ろうとするとさすがにちょっと怖いけど

実際に下を覗き込むのは怖すぎるので
この時は右手だけ突き出して腰とかは引けまくっている

ここに至るまでの公園部分は湿地だったり森だったりして自然豊か

鹿がおるやん
 ツノが立派な鹿さんでしたが、俺一人で歩いてるのにヘタに遭遇したら死ぬんちゃうか。

右が滝。音が響いてちょっと水煙も飛んできて、
美しい公園やと思う

帰りにも一枚。水煙よ。

やはり上流方面に歩けるので歩いて横から。
もやの深いのがよくわかる。

流れ落ちる直前はこんなに平和やのにな。

上空から撮るとこんなようになっているらしい
これはまあすげえやな確かに。地上から全貌が見渡せ無いのは残念ですけど。お金持ちの方々が乗っているであろう小さなヒコーキやヘリコプターが上空をちょいちょい飛んでました。

以上、ビクトリアの滝でした。すごかったー。やはり大自然は旅の醍醐味ですよね。ここまで似たような写真をずっと見続けてくれた方どうもお疲れ様でした。
ジンバブエ側には歩いて10分ぐらいのところにビクトリアフォールズという街があります。そのまま。こっち側の拠点ですね。ここまでジンバブエ鉄道が来ているのは知ってたので公園の係員に「南に行く夜汽車は何時発?」と聞くと「19時発、17時にはチケット取りに行っておいた方がいい」とのこと。駅まで歩きます。

手動のポイント
ラフなカッコした陽気な鉄道職員が「このポイント動かせる?動かしてみ?」というので「一銭も払わんで?」と確認ののち動かしてみることに。これがまあまあ重かった。

僕がポイントを右へ切り替え、
ザンビアからやってきた貨物列車が
右へ!感動!
ということでこれがビクトリアフォールズ駅。

駅前の光景。???
ライオンキングに出てくるあのイノシシみたいなやつ、みたいなやつが普通に3頭ぐらいいて、ご覧の光景です。街は割と綺麗にされてるんやけどな、アフリカ〜。

きっぷは普通に取れました。毎日という情報と週5便という情報があったので汽車なかったらどうしようかと思ってましたけど無事にありました。しかも席は17時時点でガラガラ。余裕。荷物も見てくれるってことなのでちょっと歩いてみて、まあ興味をそそられない土産物屋ばっかりだったのでカフェでゆっくり。
ジンバブエはご存知の通り通貨がエラいことになったんですが、その後独自通貨は諦めたのでドルが流通しています。ボツワナ・プラや南アフリカ・ランドも通貨としているようで使えるみたい。コーヒー2ドルでした。


SLがいたのに撮ろうとした瞬間ライトつけられた... 
今宵の汽車
ん?めっちゃカッコよくない?このめちゃくちゃレトロな感じは・・・。照明のせいかもしれませんが僕にはめーっちゃカッコよく見えます。

ホーム先頭に謎のお立ち台

のぼって前からパシャッと


特にこの車両のレトロ感がパない


発車!

おー車内もなかなかに。。。

エコノミー(座席車)
実に粗い画像ですが、カメラをサッと出してパッとやるぐらいにしとこうと思ったのです。あまり治安がよろしいとは言えなさそう。。。実際車掌の若い太った女性に「寝台の客なら今すぐ寝台に戻れ」とかいってずいぶんキャンキャンと言われました。アフリカは恰幅のいい女性が多いですが、声量で全部制圧してきたんやろなっていうぐらいやかましくがなりたてる奴もとても多いような、、、。すごすごと寝台に退却。
寝台は3段ですが、6人部屋に客は僕と地元のおっちゃんの二人だけ。ひろびろしてますわ。晩御飯を買いそびれ(スーパーが激混みだった)唯一駅のホームにいた物売りは菓子しか売ってなかったので晩御飯をビスケットで済ませようとしていたら、

おっちゃんがリンゴをひとつくれました
おやさしい。。。。。このレトロな客車でリンゴをかじる。雰囲気満点ですよ。50年前の東北に想いを馳せるなど。50年前の東北がどんなんやったか知らんけど。

そしてなんと言ってもですね、星空。タザラ鉄道やザンビア鉄道は汽車自体の明かりがそこそこ強くて星もそこまで多くは見えなかったんですけど、このボロ汽車はボロが故に明かりも暗かったりなかったり。部屋の電気を消すとまっくらに近い状態になって、ガラ空きの窓から夜風に当たりながら最高の星空が眺められます。言葉も見つからないほど心動かされますね。インドでも一度星空が感動的な時がありましたが、ほんとこれだから夜汽車は。これだから夜汽車は本当に。ああ。旅はこういうのがあるから。これがあるから旅ってやつは。ああ。ジンバブエ鉄道の夜。