2016年6月30日木曜日

映画に音楽 -インド20日目-


エアコンないとこだとどうしても8時間以上寝れないっすね(←普段から睡眠8時間は欲しい人)。友人は朝からアーユルヴェーダマッサージを受けに行ってましたが、僕はもうゆっくりさせてもらってました。
今日はデリーのこのあたりで過ごします。

サブウェイがある!
ちゃんとしてるー!

インドと思えないひるごはん
味もちゃんと美味かったです。パンは焼くのかとか野菜はどうするかとか全部選べます。インドで完璧なサブウェイにありつけるとは。。。 セットにして250ルピーぐらいなので日本よりは安いですがインドではちょっと高いと思います。まあ値段の相場に応じてクオリティの相場も、なんでね。。

同室になった日本人(日本人宿なので当然ですね)の数歳上の方と友人と3人で、インド映画を観に行ってみることに!知らなかったんですけどインド映画はインド観光の目玉の一つっぽいですね。だいぶ前から友人とは「インド映画を見よう」という話はしてはいたんですが、まさかここまで勢いのある文化とは。インド映画は年間製作本数も観客動員数もハリウッドがあるアメリカを大きく離して世界一らしいですね。他に娯楽がないのも大きいでしょうが、これは想像を超えます。

お昼過ぎから、近場の映画館まで行ってみることに。

初のサイクルリキシャ
 10分ぐらい乗って一人10ルピー。どえらい安いな。
到着
最寄りの映画館はコンノートプレイスと呼ばれるデリーの中心的な商業地区にあります。このあと少し散策しましたが、海外の家電・服などのメーカーや、国内でも明らかに富裕層向けのお店が立ち並び、インドじゃないみたいでした。
チケットは買いましたが(150ルピー)、「荷物を持って入れない」「ロッカーはこの辺りには全くない」とのことで、上映まで時間があるので一度荷物を置きに宿に戻ります。

サイクルリキシャは後ろ向きの席もある。楽しい
サイクルリキシャで2往復しましたが40ルピー。運転手はだいぶ大変そうに力一杯漕いでいるように見えるんですが、維持費とかもあるだろうにやっていけてるんでしょうか。本当の現地物価がどうなっているのか不思議です。。。

今一度コンノートプレイスへ

こちら
時間の都合がついたヒンディー語の映画がこれだけでした。しかし見たとおり、これはサイコホラー映画。インド映画のイメージといえばB級な分かりやすいストーリーに、最後は大勢集まってきて歌って踊っての超分かりやすい大団円。そんな映画も探せばあるようですし、現地の大衆が集まるような20ルピーとかで見られる映画館があるのも承知してますが、長いと噂のインド映画をエアコンなしのそんな空間で見るなんて出来るわけがないですからね。。。ここにももうちょっと明るく騒がしい映画もあるはずですが、逆にイメージの対極にあるインド映画をインド人がどう見るのかを楽しむことに。

荷物も持てない上に身体検査され、館内ではスクリーン以外でも撮影が禁止されているという厳戒態勢っぷり。ということで一切の写真がありません。

飲み物も普通のカップのアイスティー(140ルピー)にしましたが、とにかく相場がインドじゃない。チケット150でコーラが200て。周りのインド人も西洋な格好してる人が多く、どうもお金がある人がくるとこみたいです。

肝心の映画ですが、とりあえずこの主人公のおっさんが恐らく脈絡なく、罪なき人をバールのようなもので殴り殺し続ける内容です。英語の字幕すらない、しかも「2.0」とあるので恐らく続編なので詳しいことが全くわかりませんが、明らかにバールのようなもので殴り殺し続けていることだけは明らか。
たびたびお客さんたちは主人公のセリフにかなりウケてるんですが、もう何が面白いのやらさっぱりわかりません。もしかしたら真顔でめちゃくちゃ面白いヒンディージョークを飛ばしているのかもしれませんが、それにしたってシチュエーションだけ見てもウケ得ないところで大笑いしてたりするんですよね。撲殺のシーンの直後で何を言えばあんなにウケるのかっていう。
一回セリフもないとこで、

主人公がバールのようなものを振り上げる
寝ている、このあと殺されるであろう男が気付いて目を覚ます
(客席がウケる)
主人公が鈍器をなんども振り下ろして撲殺

ていう流れがあったぐらいです。ウケへんやろそんなとこで!笑いどころがあまりにも違うんですね。イメージと対極にある映画を見たからこそ分かったことかもしれません。インドの方が死との距離が近いのも関係しているような気がしますね。面白い体験でした。

乾杯
明後日の朝出国、明日は空港泊なので今夜がインドの街で過ごす最後の夜です。なんとカンボジアのシェムリアップで知り合った方がデリーに来られているということで、合流して3人で少しお酒を。いつぶりでしょうか。

あのカオサンみたいな、メインバザールという通りにある飲み屋ですが、なんか突然爆音で生演奏が始まって話ができない状態に。楽団は4人編成で、後列2人(男性)はそれぞれキーボードと電子パーカッションパッド、前列2人(女性)の片方がエコーが明らかに効きすぎているマイクで歌を、そしてもう片方の女性がただスマホをつついているという衝撃的な楽団です。ほんで上手くないし、唯一聴ける可能性のある歌はエコーきつすぎて何が何やら。さらに歌姫(姫とは言ってない)やタブラ奏者などが次々と参入してきてどんどんカオスな状態に。最後の夜まで強烈ですねこの国は。。。


2016年6月29日水曜日

さらばインド鉄道 -インド19日目-


昨日切符取ってたのでお分かりかと思いますが、今日はいよいよ、「インドといえば」なタージマハルに行ってみます!

AM4:50起床。
シャタブディ・エクスプレス
AM6:00、発車。なんでもインドが誇る昼行特急らしいですね。最速150km/hだとか。インドって考えるとめちゃめちゃ早い。。。
車内もこんな感じ
日本の特急と大差ない、いや足元の広さなんかは日本と比べ物にならないほど広いですわ。インドの本気ですね。クーラーも効いてごはんもついてます。200kmほどを2時間で移動して500ルピーちょっと。
あさごはん
うーん…。まあタダやからなあ…。このヨーグルトみたいなやつもヨーグルトと思って期待して開けたら薄いレモンジュースやったしなあ…。

アグラの駅に到着したのがAM8:00。ほぼ定刻。早速お目当てのタージマハルに行ってみます。タージマハルまでは5kmぐらいで、リキシャの相場は100ルピーぐらいとのこと。早速リキシャが集まる場所へ行ってみます。やはり高い。定価がボードに書かれてあるんですが近い西ゲートでなく逆サイドの東ゲートまで乗せようとします。曰く西ゲートはチケットが売ってない、と。
というか途中から「1day600ルピー」しか言わなくなりまして、「みんな1dayしか無いんか?」と言っても運転手達は目を見合わせて頷くばかり。「しょうがないなあーじゃあ1日チャーターするよ」ってなるとでも思ったんでしょうかね。当然ここを後にして別の場所で捕まえ直しです。西ゲートにチケットは売ってる、70ルピーで行ってくれる、というドライバーを見つけ、
無事西ゲートチケット売り場へ。立派。
まあこのドライバーも途中から降りるまで「1day, 600, ベリーチープ」のゴリ押しでしたけどね。まったく商魂たくましいやつばっかりですね。さすがタージマハルの街。
で、チケットが1000ルピー。アンコールワットみたいな感じですかね、。インドきたら行っとかなあかん、ぐらいの立ち位置なのをいいことに足元見られまくってます。なんか腹立たしい。清水寺は400円やのに。

ゲートも立派
そしてタージマハル
タージマハルから入口方向を望む
裏もきれい

うおーすごい、すごいんやけどね、、、



、、暑い



あづい。まだ9時過ぎというのにめーちゃくちゃ暑いです。インド、暑い暑いと言われながらここまでなんとか大丈夫な気温でしたが、これは無理。さらには白い大理石が日光を照り返し、地獄です。体感40度は確実に超えてました。
まあこの中も入れるんですがこぢんまり目な数部屋だけであんまり凄さは分からないし、これで1000ルピーか…。うーん…。金閣寺は500円やのに。
早めの昼ごはん
門前町みたいなエリアのレストランでチーズベジスパゲティ。インドのイタリアンどんな味かなと思いましたが、案外いけます。パスタは安定ですね。イタリアンというよりは新潟のイタリアンに近い感じがしましたが。
門前町でジェム選び
彼の名誉のために言っておくと、これはお使いであって、予算は彼の自前会計とは別から出ています。天然石のターコイズ。僕も昔からターコイズ好きなんですよね。見てるだけでも結構楽しいです。たとえインド価格でも手は出ませんけど…。というかアクセサリーつけるような柄じゃないし…。ともあれ、友人、ターコイズお買い上げです。
グレート救い
ここは観光地なのでWi-Fiカフェがございます。東南アジアでよく見たコスタコーヒー。他にもサブウェイとかドミノピザとか、チェーンがまあまあ揃ってますね。アグラには他にも、ハイデラバードのゴールコンダフォートのような城跡やいくつかの小さなタージマハルがあるらしいですが、もう暑すぎて仕事にならないので即決でパスです。

帰りは安いエアコン無しの指定席にしました。なんと100ルピー。タージ・エクスプレスという列車です。なにげインド鉄道に乗るのもこれで最後です。鉄道だけは名残惜しいですね。こんな鉄道ほかに無いでしょうから。


モニター「電車はオンタイムで、18:47に着きます」電光の時計「18:54」電車「(まだ来ていない)」正しい時刻「18:52」。
日本の感覚ではこれは何一つ合ってませんが、インドにおいてはこれらは全て何の問題もありません。表示通りに問題なく世界が進んでいます。
20分ほど遅れて"オンタイム"の列車が来た
車内はこんな感じ
ま、多少暑いですが窓も開くし、大丈夫です。何よりエアコンなしの車両はドア開けて乗り出してても何も言われないのがポイントですね。

最高かよ
8ルピーのチャイですが
ついにお釣りをアメちゃんで貰いました。まあ10ルピーのつもりだったんで全然。

まあそんな感じで、アグラ日帰り観光は最低限で済ませましたので、今日は観光した割にはそこまで面白いことはなかったですね。デリーの宿に戻るのみです。




zzz…




ガシャアンプシューーーーーーーー



!?!?!?!?
平穏な一日をのんびり終えさせてくれるほどインドは甘くありません。駅でもなんでもないところで電車が緊急停止。乗客は次々と座席を立ち上がります。僕もそれまで静かなる争い(肘置きの取り合い)を繰り広げていた隣のおじさんに「すみません何が起きてるんですか?」と訊いてみますと、前の連結器のあたりを指差して「チェーンがぶっ壊れたんだよ笑」


………「チェーンがぶっ壊れたんだよ笑」???????



野次馬が多すぎて状況が見えませんでしたが、要は連結器のどこかのチェーンがぶっ壊れて前の客車と離れちゃったとか。え?マジで言うてんの?なんかわかりませんが、ものの2,3分で修復、再び列車は疾走を始めたのです。えなにそれ?よくあることなん???ちょっとざわついてた人々も「ああ動いた動いた」みたいな感じで座って。インドでは普通なんか???この国はたとえ今から2年暮らしても、2年後の今日もまだ何かに驚き続けているような気がします。

さらには終着の直前まで来たところでなかなか入線させてもらえないようで止まったりゆっくり動いたりを繰り返し。風をアテにしているエアコンなし車の乗客には地獄です。こういうリスクも背負うのか。。。
ニューデリー駅とは別のターミナルに到着
ニザムディン駅といったはずです。さらばインド鉄道。流行ってなさそうなフードコートでピザを一切れ食って晩飯として、ヒマそうなリキシャドライバーがいっぱいいたので値切り倒したら(言い値200ルピーを100まで下げた)、ドライバーめっちゃ不機嫌になって運転が超荒い上に支払いも札を奪うように取り上げて何も言わずに去って行きました。ごめんて。

帰ったら11時近くになったのでぐったり寝るだけです。ここの宿(ここの部屋?)、ファンこそあるものの蒸し暑くて寝苦しいったらないんですよねえ。。。気が重い。。。

2016年6月28日火曜日

いよいよ都へ -インド18日目-


朝8時。ほぼ定時で到着です。


ニューデリー
インド最後に滞在する都市は、首都デリーです。出国まではまだ数日あるんですが、ほぼ出国のために来たようなもんです。しかしまあー評判が良くない。日本人旅行者に聞いても、ここまでの現地インド人に聞いても「なにしにデリー行くん!?」「なんでデリーに何日も居るん!?」みたいな反応ばっかり。ちょっと突っ込み気味に来ましたでしょうか。やりたいことがないわけでは無いんですけどね。

ニューデリー駅西側の安宿街
ちょっとカオサンみたいですね。地面を見やれば完全にインドですが。バックパッカーもやっぱりここに集まるみたいです。我々が泊まるのはまたまたサンタナ。デリーにもちゃんとあります(ちなみにあと一つ、コルカタにもあります)。1泊400ルピーとちょっと他に比べると値が張りますね…。街の物価の違いでしょうか。

荷物を置いてシャワー浴びたりして、再びニューデリー駅に。タージマハルに明日行くことにしたので、タージマハルがあるアグラ(デリーから南東に200km弱)までの切符取りです。ニューデリーは大きな駅なので外国人窓口の部屋が設けられてて、行きの切符を入手。

インド鉄道のポスター
インクレディブル・インディア。どこの国鉄もおんなじようなポスター作ってるもんですねえ。「ぜんぶ雪のせいだ」とかよりは旅したくなるかな。
切符売る係員に、「帰りはバス」という選択肢も提示されたので駅前の旅行代理店に何店舗か当たってみましたが、無いかバカ高いか。ネットでの情報にも鉄道の話しか書かれてないので、やはりこの区間は鉄道移動が主流なようです。のちほど帰りの電車の切符も取りました。

ひるごはん
サンタナデリーおすすめの中華料理屋、ゴールデンカフェ。ポークギョウザなんて食べ物があったのでフライドライスと一緒に頼みました。チキン以外の肉は久々です。ここはインドなので。
量が多過ぎましたが、残ったチャーハンを持ち帰らせてくれました。日本みたい。

この安宿街の通りもなかなか面白くて、友人は今度は宝石店を回ってプレゼント用の石(ジェムという言い方がふさわしいようである)を見て回ったりTシャツ屋の写真を撮ったり軽食屋でアイスを食べたり完熟のマンゴーを3つ20ルピー(!?)で買ったり。一方の僕はというと言い値700ルピーの太鼓が250ルピーまで下がったので

買った
んー確かに小さくて面白い音はするけど、よく考えると使い所が難しい…。パンデイロは皮付きタンバリンの使い方をすればすぐにでもちょっとしたことは出来るけども、、、。インド独特の、指のタッチで高くて薄い音を出すのが慣れないですね。

ばんごはん
サンタナの出し巻き卵。うまーい。もちろんこれだけじゃないですよ。昼の余りの大量のフライドライスがあります。
ご飯を食べる共有スペースは屋上で、蒸せるしあんまりワイワイやる雰囲気でもないので部屋で雑務を進めたりしてました。あーでも夕暮れの屋上から見る空は妙に綺麗でしたね。いくつもの建物からいくつもの凧が上がって良い眺めでした。インドは凧揚げが盛んらしいですね。プリーでもなんかそんな話を聞き及んだ記憶があります。

そんなデリー1日目でした。明日が早いので今日はこんなところで。

2016年6月27日月曜日

インド鉄道の夜 -インド17日目-


今日は夜行でヴァラナシを出ます。日中だけヒマなパターンのやつですね。

昨日アップルパイ食いに行った時にアイスクリーム乗せってやつをやろうとしたんですが、売り切れだったんですよね。で、友人は何人か引き連れてそのアイスクリーム乗せをリベンジしにアッシーガートまで朝から出て行きました。(僕は遠くて暑いのでやめた)

でもそこまで朝寝はせず、宿の朝食もちゃんと食べて、散歩に出てみます。散歩っつっても今日のはちゃんと何するかだいたいは決めてるんですよ。今日の目的は楽器屋の冷やかしです。日本でもよくやりますよね。買わないけど試奏だけするやつ。あれをヴァラナシでもやってみようと思います。
目星はだいたいつけてあるんですよね。BANA LASSIとかのある商店が立ち並ぶ、ガンジスと並行になってる路地です。

バターミルクケーキとやらを買い食い
甘くて美味かったです。しかも20ルピー。店主が持っているのは「うちは先祖代々ラッシー屋で云々、美味いラッシーをお出ししてますよ云々」みたいなことが日本語で書かれた紙です。よく見えませんが。この商店が立ち並ぶ路地は特に日本語でしゃべりかけてくるインド人が本当に多いです。しかも喋りかけてくるだけじゃなくてちゃんと簡単な会話もできる。すごい。
とりあえず目星をつけている店は、バンコクのカオサンの安宿に泊まった時にマンゴーくれた方から教えてもらったマヘンドラ ミュージックスクールというお店です。その名の通りお金をとって楽器を教えることもやってるんですが、メインは楽器の販売。BANA LASSIの日本語が通じるおにいちゃんに場所を教えて向かうも、まだ開いておらず。もう11時近くやぞ...。さらに布や服を売ってるお店のおじさんが日本語で声かけてきたので楽器屋どこ?と聞くと「そこ。でもまだ閉まってる。」あーさっきのとこも閉まってたんだよねー(←わかりやすいかと思って東京弁でしゃべっている)、まだ早かったかなー。「早くないよ、楽器屋が遅いだけ笑」、とまあ、このレベルの会話を普通にこなしてきます。普通の商人がですよ。おそるべし。やはりインド人、頭がいい。
さらにずーっと路地を南に進むとこんどはおじいさんが英語でしゃべってきます。「楽器屋ない?(←英語)」と言うと楽器屋まで連れてってくれました。これがまたけっこう歩くんだなあ。路地は迷ってもガンジスに出ればなんとかなるからいいけど、人通りがなくて狭い路地に連れてかれた。ちょっと気を許すとすーぐこういう怪しいやつに当たるんだから。金は払わんと最初に明言してあるので、まあ一銭も払わずに帰ったれと思ってそのまま行ってみます。

タブラ!
まあ何はともあれお目当ての楽器、タブラの前までたどりつきました。タブラってのはインド音楽でよく聞く、手で叩いて妙な音を出す太鼓です。低いのと高いのと二個セット、あるいはそれ以上で用い、世界一難しい太鼓との呼び声もあるほど。ここには他にもシタールやら笛やらよくわからん楽器やらが置いてあります。埃をかぶって。

そのジジイが店員に話しつけてるっぽいので、やはり客引きでしょう。まあええけど、ジジイが教えてくれるタブラは見るからに上手くない。5分で先生が来るから待っとけとか言われて、いやー教わってお金払うつもりないねんなーとなっているうちに先生到着。タダで軽く教わるとこまでは成功しましたが、これはピンチです。レッスン料は1時間500ルピー×数日、あるいは1時間半で全部マスターするコースが1000ルピー。タブラは一番安いスチール製で二個セット12000ルピーと。知らんけどたぶん相場より高いなー、とか渋っていると(本当はそもそも全くお金を払う気がない)、「持って帰って練習すれば一生使えるし、高い買い物じゃないよ!」と先生に言われます。しかし...、そうこう言っているうちに突然触ってもないのに先生の右のタブラの皮がパアァァァァァン(破)



......えええええええええええええええ!!(一同)

何が「一生使える」やねん!詐欺まがいの商売しやがって!と思いましたが、さすがにこの事態には先生も大困惑でした。そりゃそうか。なんぼ粗悪品でも目の前で自然に破れられたら商売にならないですからね。ここぞとばかり「ええええええええええ、、ええええええええええ、、、」とか言いながら退散してきました。ジジイや店員も止めるに止められず。本当に運がないヤツらですよね。昨日も火葬場から街中まで連れてきたのにインターホンに出てもらえなかった客引きがいましたが、もしかしたら彼らが悪運なのではなく僕が変な運を使ってしまってるのかも。。。

ジジイに再会したくなかったのでガンジスへ出て別の道から帰ることにします。うーんのんびりしていていいですね。概して河は良い。昨日このへんで出会った25歳の方に再会、お互いのこれからの旅についてとか少し立ち話をさせてもらってお別れ、

そして川沿いの救い
 「ハローニホンジン、チャーイ」いくら?「ロクルピー」飲むわ!みたいな。最初は客引きという行為に無条件に苛立ちあしらい続けていたはずでしたが、いつのまにかものすごく気楽な気分になっててこういうのにはノリノリで乗るようになってます。不思議と。まあ怪しいのはもちろんあしらったり、しつこいのは怒鳴ったりもちろんしますけどね。
店のおっちゃんが日本語で、要約すると「目の前に並んでるボートは全部俺のだ、10年前はこの奥の階段までびっしり日本人が座ってた、俺はガンジスでバタフライに出演した、長澤ま◯みと一緒に飲んだ」とか絶対嘘やんけっていうようなことを並べ続けるので、試しに「ホンマか?」と問いただしてみたら


一番疑った長澤◯さみの件が本当やった
 はあーほおーへえー。何を信じて何を信じないかって本当に難しいな。

地元の人々の市場を通り、元の筋に戻って11時に閉まってた楽器屋を立て続けに冷やかします。
5500ルピー。
 やっぱりさっきのはボッタクリか。まあ買わないんだけどねえ。「次来たときね!ビジネスマンになったら買うよ!」とか言って切り抜けます。ひどいと思う人もいるでしょうが、日本の楽器屋でもよくあることですよ。なんせ楽器は高い買い物ですので。

タブラ叩きまくって、なぜかジャンベ(アフリカの太鼓)も売れるのかいっぱい置いてあったんで叩きまくって、笛も吹いて(店のおっちゃんともどもロクに吹けなかった)、何かの役に立つかもと思いちゃっちいタンバリン(たぶん正確にはパンデイロ)を買いました。200ルピー。正確にはパンデイロですが、どちらかというとおもちゃのタンバリンみたいな感じですかね。ヨーロッパで適当に叩いてたら元が取れないかなぁなんて。無理か。


これが路地の感じ

よく旅人が使ってるこの楽器
これ知ってます?紐の両端にシェイカーがついてるみたいな楽器です。小さかった頃に一度、中央公園で旅人に見せてもらった記憶があります。僕が習得してきた打楽器のノウハウとは全く違った原理なので、やってみても全然できるイメージが見えないし、こちらは買わずにおきました。

この人は2個使いができる
すげえ。左右でパターンが違うんですよ。まあでもこういうのはペン回しとかが 得意な部類の人々がやればいいんじゃないかな。
いやー、目的がある程度決まってて、好きなものを路地の商店で見て回るっていう行為自体がめちゃくちゃ楽しいですね。知らず知らず「めちゃくちゃ楽しい...」って呟いててこの2個使いのにいちゃんに「ナニガメチャクチャタノシイ?」って聞き返されてしまいました。あんたも日本語出来るの忘れてたよ。あと、多くのインド人が日本語で、僕とコミュニケーションを図ろうとしてるのが(商売のためとはいえ)おもしろいんですよね。南インドでは英語も通じるか怪しいし、僕が完全に異邦人、って感じのとこが多かったので、「それはいらなーい」「あーまた来るよー」とか言ってるだけで楽しかったりするんでしょう。で途中で、「インド人は英語も日本語も頑張って覚えて、つたない日本語で頑張ってくれてるのに、英語もロクにできない僕が客だからという理由だけで偉そうに闊歩している」という事実に気づいてきて自分のダサさに押し潰されそうになる、みたいなね。

ひるごはん
これも日本語が喋れる人がやってる路地のお店。本当はいくつかオススメの店を聞いて回ってたんですがどこも閉まっていて、結局日本語が使えるお店にしちゃいました。でも食べるのはタンドリーチキンカレーにバターロティ(チャパティ)。超うまい。有塩バターってずるいとこありますよね。うまい。水も合わせて200ルピーだったかしら。

またまたまたこのラッシー
ラッシー屋で友人と待ち合わせ。40ルピーなんでね。やっぱりすごい。Wi-Fiも使えるということで、晩飯までここでゆっくりすることに。友人は路地で一昨日頼んだ指輪を受け取ってきていました。いい仕上がり。
ここの店員のにいちゃんと、オーナーは日本語が喋れるので、それぞれと最後にちょっと座って話をしてみました(しに来てくれました)。オーナーさんは日本人は豊かになり、モノに固執していて心が豊かでない的な話をしてくださって、冷静に内容だけ取ればよく聞く類の話ではあるんですが、インドの方が言うと重みが違うなと。そして、「今は日本が一番だけど、たぶんそのうちインドが自殺者の数いちばんになるよ」だそう。そうなんや。インドってこれからもずっとこんな感じかと思ってた。さっき再会した25歳の方から「インドもプチバブルが来てる」と聞いていたんですが、ちょっと繋がったのかもしれません。
いやー、ミニマリストになるつもりもないですが、モノはそこそこにして旅とか、美味いメシとか、まあなんでもいいですけどサービスにお金を多く投げて、気楽にやっていきたいですね。このインドで過ごした2週間が僕をそういう気分にさせているだけかもしれませんが、そういう気分をたまにでも思い出したいなと思います。

宿に戻ってばんごはん
 何日か前に食べた鶏唐揚げマリネの、こんどはパスタです。当然美味い。
そして宿OUT。宿の人や出来た知り合いが見送ってくれました。見えなくなるまで手を振ってくれて、あーいい宿やったなあという気になります。いやでもほんと、いい宿でした。

リキシャを捕まえて郊外駅ムガルサライにまた向かわなければなりません。でまた着いた時と同じ喧騒です。別れの気分に浸っているのもほんの束の間でしたよまったく。

「「ムガルサライ」」(←普通のリキシャドライバーにはさすがに英語)
「500ルピー」
「「高い」」
「400ルピー」
「「高い!!!」」
二手に分かれてとにかく安く行ってくれるリキシャを探しますが、明らかに高い。二人でほうぼうに怒鳴ってる感じです。

「ええか!聞いてくれ!ムガルサライからここまで、250ルピーやってん!わかった?」
「Yes.」「Yes.」「OK.」「Yes.」...
「いくら!」
「「「「「「「400」」」」」」」
「なんっっっっでやねん!!!!」(←日本語)

ラチがあかないかと思いましたが、二人捕まえて安さ合戦みたいなことさせたら300まで下がりました。まあ街行きと違って帰りは宿に連れてってバックもらうインセンティブとかもないし、まあこんなもんでしょう。俺たちはよく頑張って怒鳴ったよ。

夜なので写真は綺麗に撮れてませんが、大きな橋でまたガンジスを渡りました。もう二度と来ることはないんじゃないかという気がしています。Bye Bye ガンジス。

1時間弱で駅に到着。降りる時も値段を多目に言ったりせず立派なドライバーでした。駅の待合では我々の膝、そしてつま先に額を擦り付けて物乞いをする大ガチな乞食の男の子が現れまして、さすがに胸が痛みました。ずっとなんですよ。リアルに3分ぐらいですかね。何が彼にこんなことをさせているのか。

しばらくしてホームへ。今日はインドが誇る優等列車に乗ります。優先的に来るので遅れはほとんど発生せず、全車冷房車なんだとか。


ハシゴの先の掲示板を見るとヤバい作業をしているとわかる

来た

すでに客車は眠りについている
んー写真からは分かりづらいですが、今日は左側、サイドの席の下側で眠ります。進行方向と平行に寝るってことですね。そしてこの席、自分だけの窓があるんですよ。カーテンの中に体を潜り込ませると窓の反射がなくなって、外の景色がなんとも綺麗に見えるんですね(ドアから身を乗り出していると車掌にやめるよう注意されました、おそらく冷房車なので)。
星空が綺麗で綺麗で。初めてブルートレインに乗った時を思い出しました。1回生の冬、上野発のあけぼののソロ上段だったんですけど、あの時の部屋の明かりを消した時も同じでした。冬の日本、夏のインドと景色は全く違いますが、同じ感情になりましたね。この瞬間のために旅をしていると言うんでしょうか。まあ言葉にすると陳腐になるんでやめましょう。号泣したとだけ書いておきます。

今日は本当に盛りだくさんで、感情が忙しい一日でした。そして、僕は関空を4/27に出発したので今日でこの旅もちょうど2ヶ月になります。ものすごく長い2ヶ月でしたけど、まだまだですね。ブログの方は読んでてどうですか?やっぱりマンネリ化してますよね。たぶん。でもですね、バックパッカーのバイブル「深夜特急」も途中から惰性になってるという評価をよく耳にしますし、マンネリこそ長期旅行の本質なのかもしれません。言い訳ですけど。言い訳ですけど、本当に思ってます。アジアを出ればお金も使いづらくなって治安も悪くなって、きっとネタも減るでしょう。それでも、面白いことをたくさんしたい、と思い続けてはいるので(思うだけやったらタダやし)、今後ともよろしくお願いします。


2016年6月26日日曜日

「死んだら 灰になるだけさ」と笑ってみた -インド16日目-


昨日の晩はまあまあ遅くまでやってたんですが、昼近くまでぐっっすり寝てるのは僕ぐらいでした。こういうとき徹底的に眠りに甘えるのが僕というヤツなんですよね。もともとロングスリーパーてのもありますけど。

いきなりのひるごはん
8人以上の注文がないと作ってくれないスペシャルメニュー、チキンバターマサラです。昨日の人数に加えて今朝2人到着したので頼む流れになったんですかね。(遅く起きて最後にちょこんと便乗したので知らない)
超美味かった。まーチキンバターマサラなんて食べ物が美味くないわけもないっすわね。
食べてゆっくりして、 デリー近郊から来た人たちが服を買うのに帯同したりして(ヴァラナシはシルクが有名らしいです)、

ガンジス河沿いを歩く
いつもの友人にデリー近郊から来た一人、河の途中で出会った25歳の日本人の方も加えた4人のパーティーで、ひたすら南に歩きます。ガンジス河は言わずと知れた聖なる河ですが、真っ昼間のガンジスは実にのどかなもんで、時間がゆっくり流れます。人々は川沿いでのんびりしたりクリケットしたりギター弾いてたり、

牛も沐浴
 我々はクリケットをじっくり眺めたりとか、あとは2人ぐらいの大人と大勢の子供が陸上で舟の向きを変えるのを手伝ってみたり。多少暑いですがのんびり、最南端のガートであるアッシーガートまで歩きました。

目的地到着。ガンジス河ビュー。

お目当て、美味いと噂のアップルパイ。美味い

ライムソーダ頼んだらライム果汁とソーダ水が出てきた。そのままの味がする
帰りは、昨日の朝も見た火葬場に立ち寄りました。有名なヴァラナシ最大の火葬場ではなく、南寄りに位置する小さな方です。大きな方はよからぬことを企むインド人が多いんだとか。
ヴァラナシは聖地であり、ガンジスは聖なる河ですが、それだけに火葬場も多いわけです。ヴァラナシ自体の人口規模は120万人で京都より小さいぐらいですが、インドじゅうの多くの人々が聖地ヴァラナシで死ぬことを願っているため(この理由は普通にWikipediaにあります)、火葬場もいくつもあります。ヴァラナシに来た多くの観光客も見ることになるのですが、火葬場では一般的に遺体は布にくるまれ、ガンジスに浸けられたのち川岸で薪の上で燃やされます。覆いなどはありません。川岸で行い、通行人も見ることができる状態、なんなら見られるように少し高めの位置にベンチまで設けられています。
結論、日本人には刺激が強いと思いますね。やはり日本人は死というものを遠ざけすぎてるんかなあという印象を受けます。布一枚にくるまれただけの遺体が外で燃やされる、という形の方が本来、比較的自然な火葬の形でしょ、たぶん。次から次という感じで遺体が運び込まれ、僕の目の前では顔の覆いがありませんでした。それでも親族の方々も含めて、インドの人々には当たり前の光景になっているように見える。つまりやっぱり日本人は人間が生きていていつか死ぬことを実感できるような、ある種刺激が強い映像であったり写真であったり、文だけでもいいんですけど、そういったものを単に刺激が強いという理由だけで過度に遠ざけてるんじゃないかと感じました。死んだ人間は確かに目の前で灰になった、その事実も、特に僕がこのまま無神論者としてやってくためには目の当たりにする必要があったんだと思います。見ておいた方がよい、とかではなくて、必要があったんだと思いますね。

その当たり前の光景を背にして、日本語ペラペラのインド人がたて続けで2人、我々に喋りかけてきました。もうものすごくペラペラ。頼んでもないのに滔々と火葬場の解説を喋ってくれます。日本の話とかにも非常に詳しくて。特にこの人たちはここに居すぎて慣れすぎて、燃やしている方を振り向きもしません。つまり僕は左目では燃える薪を見ながら、右では陽気なインド人を見て、日本の話をしていることになります。要はまあ土産物屋の客引きなわけですが、最終的に歩いて帰っている途中で彼にもう一度捕まって、僕も僕でひょこひょこその土産物屋とやらについて行ったわけですよ。宿の近くではありますが怪しさ満点の人通りの少ない袋小路の路地に連れてかれます。ちなみに一緒にいた友人は早い段階で警戒している様子でしたが...。
これも結論から言うと、後でわかったことですが単純にボッタクリ野郎でした。しかしね、せっかく日本人を二人も店の前に連れてきたのに、インターホンを鳴らしても店番の人は出てきてくれませんでした。あるいは留守か。ボッタクリにやる言葉でもないですが、不運すぎて可哀想になってくる。「今日はアンラッキーだったねー」っつって帰ってきました。哀しそうな顔してたなあ。。。

ばんごはん
親子丼!海外でも比較的手頃な日本食の定番なんでしょうね。ダシさえどうにかすれば卵と鶏は世界中にあるからだ、とバンコクで聞きました。

今日もまあまあ刺激的な新参、まあ端的に言うと17歳がやってきて、また話し込んでしまいました。楽しい人間が次から次へとよくもまあ現れますね。すごい環境ですよ。。。