2016年7月11日月曜日

Kigali Genocide Memorial -ルワンダ2日目-


はい。とても長かった1日から一夜明けて今日は外に出る気も起こってきたので、キガリに来たらとりあえず訪問マストであるところのキガリ虐殺記念館などに行ってみようかと思います。
まずはお金を確保。宿のすぐ近くのニャブゴゴの交差点には銀行や両替屋がいるのでATMで無事お金を引き出し。ルワンダは比較的治安がいいとされているので、ここでルワンダのお金を多めに引き出して、大半をUSドルに替えて持っておきたいんですよね。。。USドルをここまでに手に入れてないのがミスなんですが、アフリカではドルがとても強く、特にアフリカ諸国で悩ましい入国時のビザ代を支払うのに現金のドルが必要になってくるのでこうして預金(日本円)→現地通貨→USドル、と二重に手数料を払ってます。治安はアレなので手持ちに多く持ちたくはないし、お金の管理はまことに難しい…。
こういう道を歩きます
地図上の直線距離では近そうでしたが、遠回りやし勾配があるしでまあ歩きました。自然豊かでアップダウンの激しい首都ですこと。到着目前では登校中?(下校中?)の子供達に囲まれ、
どこの子供も写真を撮られるのは好きなよう
インドと同じですね。How are you?とかめっちゃ聞かれます。「ムズングー」って指さされますが、これは「外国人ー」って意味らしいですね。ウガンダもそうでした。
遠くに首都機能の丘が見える
昨日行ったNAKUMATTもカフェもあの丘にあります。結構歩いたなー。
Kigali Genocide Memorial
到着。入場無料でした。中はとても綺麗にしてあって、街中でほとんど見かけない欧米人が結構いました。観光地として整備されてるわけですね、観光地という言い方は不適切かもしれませんけど。当時を生きた人々がその当時を語る映像を見た後、展示に移るという形でした。もちろん憚られるので写真はありませんが(というかそもそも写真は有料って言われた気がする)、かなり充実の展示内容だったと思います。虐殺に至る歴史的背景、虐殺、虐殺後現在に至るまで、そしてルワンダのみならず世界各国で行われた虐殺についての展示もありました。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺、そして1ヶ月半前に見てきたカンボジアの強制収容所の写真もありましたね。
ルワンダ虐殺が行われたのは1994年、僕の生まれ年です。僕は今年22になるので、わずかに22年前。カンボジアのプノンペンで強制収容所を見学した時も同様の感想だったと思いますが、なんでこんな最近の出来事がちゃんと理解できてないんだろうと思いますね。尤もルワンダについては近すぎて僕は受験勉強で地理と政経の中でそれぞれやってたはずなので事実としては知ってました。うーんでも、ツチとフツの「対立」ぐらいにしか意識してなかったのも事実です。現実は100日間で50万人から100万人、ルワンダ全国民の10%〜20%が犠牲になった、立派なジェノサイド。国民が国民を虐殺した結果の数字ですよ。信じられない。こんなことがあってんで、と数字で教わっても絶対実感できない。この時殺した側はフツの過激派ですが、長い歴史の中で一概にどっちが良い悪いという単純な話ではないようで、コトは非常に複雑でした。いかなる理由があれ虐殺、民族浄化なんて事があっていい訳はありませんが、現場で殺戮を行っていたフツの人達も「殺すか、殺されるか」の状況にあったとも言われます。何がどうなんて簡単に言えません。伝わりますかこの感じ。何を書いて良いかわからないんですよ。展示を読んでも(英語の展示なんて理解しきれる訳がないので昨晩かなり予習もして行きました、それでも、)なんでこんな悲しい事が起こるのか、全くわかりません。世界広しといえどもナチス、クメールルージュ、ルワンダ虐殺など20世紀だけでも大規模なものがしょっちゅうですよ。人類は学習しないんでしょうか。学習だけではどうしようもないことがあるんでしょうかね。
庭にはバラ園が綺麗に整備されていました。季節ではなかったですけど。最後にそのバラ園に面した光の差し込む部屋で別の映像を見ておしまいでした。最初の映像で語った人が起こってしまった事実を踏まえて、何を思うか、というような内容だったかと思います。外の社会はあまりにも平和でそんな感じは全然しませんが、虐殺からはまだ22年、全然尾を引いているはずです。社会は平和になり経済は回復して発展しつつあっても、一人一人の生活の中には確実にその傷が、目に残る形であれ内的なものであれ、存在するのかと思うと。なんといえば良いか。人類はこのような歴史を絶対繰り返してしまうのか、と、正直絶望的な気持ちにさせられました。


結構じっくり見たつもりですがまだ夕方と呼べる時間にはならないので、あの首都機能の丘まで歩きました。山を降り、また登る。
サーターアンダギー的Something
味もボッサボサのサーターアンダギーでした。そして念願のドル入手。街の両替屋がしれっと少額のドル紙幣で支払おうとするとこばかりで、結局銀行街にあったちゃんとしたところで替えましたね。ちなみにアラブ首長国連邦で散々聞いたメトロの終点「UAEエクスチェンジ」が(同一機関か知りませんけど)ありました。ちなみにちなみに、ルワンダのUAEエクスチェンジはドル持ってなかったです。ドルも手元になくて何がUAE XChangeやねんちゃんと綴れ。その同じ建物の別の店で替えました。
ホテルミルコリンズ
一等地も一等地ですよ。こんなホテルに泊まれるわけもなく。入るのもためらわれたのでここまでですが、このホテルミルコリンズ、映画「ホテル・ルワンダ」の舞台となったホテル・ルワンダが改称したものだそう。映画を全くと言っていいほど見ない私ですが、この前京都の友人たちと電話してると「ルワンダは映画ホテル・ルワンダの舞台」という情報を聞きまして、付け焼き刃の情報だけで現地に赴いてみた次第です。ルワンダ虐殺の時に約1200人をかくまったという史実に基づく映画だそうで、ということは街中にあってこれほど目立つ存在でありながら1200人をかくまって救った史実があるわけか。映画どうこうよりその史実、確かにすごい。
街灯が地味にルワンダ国旗の色合いをしている
奥の丘の上に見えるのがホテルミルコリンズです。ちゃんとした建物に見えますが、いかんせん白すぎて病院にしか見えないんですよね…
そしてカフェです。昨日と同じ。ここまでPCを持ってこれれば更新も出来たというもんですが、いかんせん遠い、山登りになる、そしてバックパックに入れてこない限りPCを半分カバンから出して持ってくることになるので、治安の安定したルワンダとはいえなんとなくしたくない。インドではしてましたけど、決定的に違うのはインドまでは多くの脅威が窃盗や詐欺の類なのに対し、アフリカは良くてひったくり、もっぱら強盗。気を張ってないとです。
カフェのテレビ
いい画面ですが、ずっとアルジャジーラを映そうと頑張っていて画面は乱れまくってます。何か意図があるのか…
ばんごはんはさすがにここで食うと高くついて昨日みたいなんが出てくるので、同じNAKUMATTスーパーの中のレストランへ。事前にネットで見てちょっと楽しみにしていた、ルワンダでポピュラーなビュッフェスタイルのレストランに入ります。ルワンダのビュッフェは皿に盛り付けられるのは1度のみ。そのため皆さん、皿にこれでもかと盛り付けていきます。皿の上がカオスなことになっているのは言うまでもなく。
僕のは非常に綺麗な方
まだ19時になってなかったんですがなぜか料理が終わりかけてて、めっちゃ気弱そうなスタッフが僕が何も言ってないのに売り切れている料理を後から作って次々持ってきてくれます。おかげで綺麗に3皿ぐらい。ジュースだけ別料金ですが、これでこのあとチキンのトマト煮みたいなのも来て、2000フラン。約270円。安い!野菜もこんなに摂れるし素晴らしい。いいぞアフリカ!店によっては肉が1個までとか別料金とかあるらしいですが、ここは牛肉も鶏肉も取り放題。めっちゃすげえなそれ。

で昨日と全く同じようにバイタクで帰ってきました。WiFiは案の定回復しておらず、宿はマジでやることがないので、やっぱり寝るのみです。

2 件のコメント:

  1. にゅうこう2016年7月21日 22:13

    『ホテル・ルワンダ』には多くの実際にルワンダ内戦を生き残った方が本人役やエキストラとして出演されています。帰国されましたら是非ご覧になってみて下さい。きっと、実地へ赴いたからこその、得がたい映画体験になると思います。

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    1. 詳しいね...。映画全然見いひんから全く知らんかったわ。。めっちゃ見てみたくなった!帰ったら見てみることにします!たぶん!就活終わったら!

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