2016年7月30日土曜日

移動はつづく -ジンバブエ2日目=ボツワナ1日目-


明け方。

寒い。

なんだこれは。そう。ウガンダで赤道を越えてからすでに久しく、熱帯アフリカはとうの昔に終わっていたのです。ここは南半球、今は冬。日本ではありえないほど海から離れているので昼夜間寒暖差も激しい。そしてこのボロ汽車の保温機能のなさ!!!!!いろいろ相まってめちゃくちゃ寒くて起きてしまい。奥底で圧縮したダウン以外の全ての衣類を可能な限り重ね着してまるくなって耐え、朝日が上がってくるのをひたすら待ちました。太陽がこんなにありがたく感じられたことはなかったですね。ストーブに当たるみたいにして日の光に当たってて他の乗客からはだいぶ奇妙なものを見る目で見られましたが、逆にあなた方はなんで大丈夫なんだと問い詰めたくなったことです。


豪華寝台列車とすれ違う一幕も
PRIDE OF AFRICA。ロボスレイルという会社が運営するアフリカ屈指の有名豪華寝台列車。南アフリカからボツワナを通ってジンバブエ、ザンビア、果てはタンザニアまでつながっているレールに乗り、今日もどこかへ行ってるというわけです。もしかしたらダルエスサラームに向かってるのかも、と思うとワクワクしちゃいますね。

優雅にお紅茶を飲んでいらっしゃる
もうほんとね、すれ違う間じゅうガン見しましたけど、格差すごかったですよ。ま、向こうは何百ドルも払ってるはずですからね、一晩10ドルしか払ってない我々と大きく違うのも当たり前ですが。いつかはあーいう列車にのってみたいもんです。あーいう列車に乗るとき、その舞台にアフリカを選ぶかと言われれば微妙ですが。。。


かたやこちらの素敵なボロ汽車

知らんうちに前のほうに石炭貨車がくっついている

なるほど夜中なんべんもガッシャーン言うと思ったらこんなもんをぶっつけてたんですね。そりゃガシャンガシャン言うわ。石炭とともに、一路ジンバブエ第二の都市ブラワヨを目指します。朝10時とかには着くって話でとうに10時はまわってますが、さすがに予想してました。こんなんが定時に着いたらビビりますからね。

そこここにこういったボロ貨車が野ざらしになっていて雰囲気はある

食堂車。ビールとコーラしかない。
なんとレトロであろうか。

12:00過ぎ。やっと到着。

ジンバブエ第二の都市、ブラワヨ。

やー着いた着いた。

お昼に見てもカッコいいレトロな車両

ブラワヨ駅舎
ブラワヨは大きな街ですが見るものは特にないので(ほんとは世界遺産の遺跡が二つもあるらしいけど言われも知らん石の遺跡はもうたくさん)、次を目指します。今回はボツワナ経由で南アフリカへ。直接南アフリカに行くこともできますがボツワナに行ってみたかったのはですね、ボツワナにちょっとだけ興味がわいたからなんですね。さかのぼること1,2ヶ月、アフリカ最安サファリがあると噂のボツワナ北部・チョベ国立公園について調べていた時のこと。ボツワナのウィキペディアの独立(1966年)後の欄に以下の記述を発見したのです。以下引用。

独立当時のボツワナは最貧国の一つであり、国内インフラストラクチュアも無いに等しい状態にあった。初代大統領のセレツェ・カーマは、白人主導のアパルトヘイト政策を採用する南アフリカ共和国や南アフリカ共和国の占領するナミビア、イアン・スミス白人政権のローデシアに囲まれた地勢の中、人種間の融和を重んじ、周辺国との関係悪化を避ける慎重な政策を取った。幸運なことに、独立直後の1967年に国内で世界最大規模のダイヤモンド鉱山たるオラパ鉱山がデビアス社によって発見され、この収益が初等教育・医療・インフラストラクチュア整備といった分野に回されたことが、ボツワナの経済発展の礎となった。また、独立後、セレツェ・カーマ大統領は1969年の国際連合総会で反人種主義を宣言した後、1970年にソ連と、1974年3月に中華人民共和国と国交を結び、1977年にはローデシアとの国境を封鎖した。セレツェ・カーマ大統領は1980年に死去する。
後を継いだ第2代大統領クェット・マシーレもセレツェ・カーマの政策を継承し、その後も1999年までボツワナ経済は世界最長の景気拡張と世界最高の平均経済成長率を記録し続けた。1990年代以降、ボツワナは深刻なエイズ渦に見舞われている一方、国民一人あたりの総所得は2012年時点で6,994ドルまで成長している。

引用終わり。


え?カッコよくない?なにその成長の仕方。というわけで首都ハボローネに寄り道してチラ見してから南アフリカには入ることにしました。ハボローネ行きの夜行バスを探して地図上唯一のバスターミナルへ歩いてみます。


だれなんやろ

なになんやろ

バスターミナル到着

思てたんと違ーーーーーう!
忘れてました。アフリカでバスといえばこいつでした。ミニバス(ここでの呼称は「コンビ」のよう)に夜行は当然ないので、ツーリストバス会社を探して再び歩くことに。人に聞きまくったところ、どうやら警察署の向かいにあるということで警察署の向かいへ。止まってます止まってます。ヨハネスブルグ行きのツーリストバス。やっぱり南部アフリカの交通のハブはヨハネスブルグなんやなあ。

わたし:今夜の夜行でハボローネに行きたいねんけど。
「今日のは朝早くにもう行ったよ。」
えー。。この街安宿ある?
「ないねー。ヒッチハイクで国境越えて、ボツワナ側すぐにある大都市フランシスタウンから国内便の夜行バスで行くしかないね。」
そう。南部アフリカではヒッチハイクがかなり浸透しています。運転手にお金を払って乗るのがスタンダードである代わりに、すぐに乗っけてくれる車を捕まえられるんだとか。

「ヒッチポイントまでは俺のタクシーに安く乗っけてってあげるよ。」
いやお前タクシードライバーやったんかい。でもバスがもうないのはみんなが口を揃えてるので事実っぽい。仕方もないのでこの話に乗ってみることに。地図を見ると約12kmの移動とのことで、なんとか16ドルまで下げて乗車。すると3kmぐらいしかいかないうちにどっからか国境行きのミニバス捕まえてきて乗り換えさせられます。あれ?12km乗ってヒッチハイクじゃないの?ミニバス?

すっかりハメられました。あいつら3kmしか運ばずに16ドルも持って行きやがった!めっちゃめちゃ腹立つ。ミニバスは客探して一向に国境に向けて動きださんし。乗り換えろと言われた時に拒んで12kmきっちり運ばせるのが正解でした。タクシー乗ってすっかり安心して頭まわしてなかったわけです。言われるがままになってしまった。許せん。

仕方がないので気長にミニバスに乗り国境へ。この区間は5ドル。そして越境は比較的スムーズでした。ボツワナは日本人はビザいりません。ジンバブエでボツワナプラも流通しているからか国境近くには両替商はおらず、国境のセキュリティに頼んで少し両替してもらいました。越境後はまたミニバスに乗り込んでフランシスタウンへ。20プラ(約200円)。ただ値切った結果なので定価は25プラらしく、地元の人も25で乗ってました。。

朝から食べ物にありつけていないのでなけなしのコーラも美味い

日は無情にも暮れ行く
フランシスタウンに着いた時はまっくらでした。治安が安定したボツワナ第二の都市と聞いてましたが、夜は気味が悪いほど街が静かでいかにも危なそう。これはタクシー移動やむなしかと思いましたが、ジンバブエ側のミニバスから一緒で事情も話していたボツワナ人が僕と同じく夜行バスでハボローネに行くということなのでついていくことに。結果すでに出発して街をでようとしていたバスをつかまえて飛び乗り、これでなんとか無事ハボローネへ向かうことができます。フランシスタウン着いた時彼らは「終バスの時間過ぎた」的なことを言っていたような気がするので、もしかするとめちゃくちゃ危ないとこだったのかもしれません。このルートはオススメできませんね。まあでもとにかく、今日のところはなんとかなりました。幸い席もそこまで混んでおらず、上半身を横にすることができます。ゆっくりできますね。




わたし:ところで何時に着くの?
「今が19時過ぎやから...、だいたいミッドナイト(0:00)だね!」
え???は?????え???????はあ?????????一番困るねんけど!!!!!


明日につづく




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