2016年6月7日火曜日

コタバルとマラヤンタイガー -マレーシア4日目-


それではここで今移動中の行程を発表します。
まずマレーシア入り前に決定していたのは、8日晩にシンガポール、その後数日のうちに空路でマレー半島を発つ、の2点です。

当初:「バンコクからそのままマレー半島を鉄路縦断してシンガポールから飛び立ったろ」

→シンガポール発格安航空券、ほぼ全てクアラルンプール空港経由

→「ならシンガポール触ってクアラルンプールには陸路で戻って、クアラルンプールから飛べばええやん」

→@バタワース"クアラルンプール行き満席やで"

ここまで話が進んでいました。どうしようかと時刻表とにらめっこしておりますと、ネット上の日本語情報では運休中とか災害で一部寸断中とか出ていたマレー鉄道東海岸線がどうやら復旧しているっぽいぞ、と。この東海岸線、ほぼ本線の役割をなす西海岸線と対をなしてはいますが、海岸を通るわけではなくひたすらジャングルを突き進むローカルめな路線です。日本から寝台客車が輸出され「マラヤンタイガートレイン」として活躍していたようですが、検索しても2012年の情報しか出てこないので寸断か東部国境沿いの治安悪化に伴って運休したままかと思われます。北端のトゥンパトは小さい港町ですが、ここに日本からの寝台客車が置いてあるらしいので、行けばお目にはかかれるかも…。

こんな曖昧な情報しかありませんでしたが、バタワースからだいたい真東にある東海岸トゥンパトに移動し、東海岸線を乗り通してシンガポールに行くことにしました!大幅な経路変更です。クアラルンプールは退屈らしいので空港寄るぐらいにしました。

というわけでバタワース駅に隣接したバスターミナルへ。トゥンパト行きのバスはありませんでしたがトゥンパトから10kmほどのコタバルという街までバスがあることがわかり、購入。38リンギット、7時間だそうです。(ちなみにあの日ペナンに帰らずコタバルに直行しコタバルで一泊の余裕を使おうかと思ってたんですが、バスも満席でした。日曜日で、ペナンから帰る人が多かったんですかね…。)。次いで駅の窓口でトゥンパトからシンガポール対岸のジョホールバルまでの鉄道のきっぷも購入しておきました。これが満席とか言われると詰むので。駅の窓口の人、クアラルンプールまで満席と伝えてきた人だったので僕の経路変更が分かったんでしょう、聞き間違いでなければ「Cool」って言われました。バカにされている可能性もありますが、何れにしろあまり無いパターンの経路変更なんでしょう。

ということで今朝ついたのはバタワースから真東に位置する東海岸コタバルという街!バスはあの寝心地なのでぐっすり寝て(もっと安いバスがあったのかもしれないが僕は見つけられなかった)、なんか一瞬のうちに着いたような感覚でした。
コタバルバスターミナル
AM4:15。7時間と聞いてたのに6時間ちょっとで着いてもーてるやんけ!早すぎるわ!問答無用でバスから放り出され仕方なくターミナルへ。かろうじて弱いWi-Fiが繋がるのが救いですが、案の定郊外で真っ暗な中歩きたくないのでターミナルで時間を潰すしかありません。。。計算するとたぶん6:30頃まで明るくなりません。しんど…。迎えを待つ客とタクシーの客引きしかいません。
タ「どこまでいくん」
僕「コタバル。ここコタバルやろ?」
タ「No.」
…地図では中心から外れてますが、確かにここはコタバルです。コタバルじゃないことにして中心まで運んだれっていう魂胆でしょうね。無視。
途方にくれトイレに歩いていると何もないと思っていた裏手の空間に食堂街が!こんな時間から開いてるお店もあります。
朝5時前のミーゴレン
美味い…。熟練の店主がナタふるって中華鍋ふるって作ってますから流石の一言です。オレンジジュース頼むと無いと言われたので諦めてたら、おばちゃんがどっかから調達してきてくれて飲めました。起き抜けのオレンジジュース美味い………。あわせて6リンギット。流石の一言です。
ターミナルの隣には

僕「あれイオンやんな?」
タクシーの客引き「No」

Noってことあるかい、どう見てもイオンやろこれ!えらい商魂たくましいな!
プノンペンにイオンがあるぐらいで驚いてましたけど、イオンモールコタバルらしいです。この5月にオープンしたとか。イオンがあることからも分かる通りコタバルは北東地域の中心都市らしく、人口も50万人ぐらい居ます。都市圏人口はもっと多いということでしょう。しかしこのイオンとバスターミナルの並び、大通りとの間に世界的大型スーパーチェーンのTESCOを挟んでいるんですが、TESCOの後ろに建ててAEONやってけるんかな…。
日の出
マレー系住民が殆どらしく、モスクがあちらこちらにありますね。さて、暑くなる前に中心に移動しておきます。歩いて30分ぐらいやったかな?
隣のテスコ
名古屋…?
着いた
50万都市なりの、まあまあの都市です。今日の汽車は夜なのですがトゥンパトにはおそらく本当に何もないので、この殆どマレー系住民の50万都市を歩いてみたいと思います。観光案内所でパンフを手に入れ、(ソファで2時間寝て)移動開始!
これが路線バスターミナル
なんと2リンギットで荷物を預けれました。トゥンパトまでは19番に乗れば行けると教えてもらいました。
Kabutogani Clocktower
いきなり何やねんこれは。その名の通り、4面のうち3面でそれぞれ2匹ずつカブトガニがデザインされています。彫られた文字を見ると、姉妹都市提携を結んだ岡山県笠岡市が贈ったっぽいですね。笠岡市は瀬戸内海沿いの岡山県最西端の市ですが、カブトガニ有名なんでしょうか。いきなりぎょっとする物を見た感じがあります。
市場ですが...





そうです。昨日からラマダーン!街に人はいるには居ますが、食べ物のお店が開いてない開いてない。きっと普段はもっと活気があるんでしょうけど、街は街の大きさにしては奇妙なほど静かです。
ケランタン川
東南アジアの川はだいたいこう赤土の色してますね。
戦争博物館
2リンギット。戦争…何戦争かな?と一瞬考えてしまう程度には歴史オンチです。いや太古の昔から戦の類はあったでしょうけど、特に指定がない限りこの場合の「戦争」は、第二次世界大戦ですよね。マレーシアから見た相手は、大日本帝国です。基本英語で説明を読み続けることになる博物館系はお金を払って入るのは敬遠しがちなんですが、マレーシアから見たWWⅡの博物館、頑張って説明を読んででも見ていく価値があると思い、入りました。
まあそんな歴史オンチなので当然知らなかったんですが、マレー半島といえばマレー作戦の舞台です。そう言われてもまだピンと来ないワタクシのような歴史オンチのためにWikipediaで情報を補って解説しますが、1941年、日本軍はマレー半島(当時イギリス領)に奇襲上陸し、一瞬のうちにマレー半島を南下、シンガポールまで占領しました。この1時間後、日本軍は真珠湾を奇襲攻撃。つまりイギリスとアメリカにほぼ同時に奇襲攻撃を仕掛け、ここに太平洋戦争が幕開けた、と。つまり太平洋戦争が始まったのは真珠湾攻撃の時間ではなく、そのわずかに前にあたるマレー半島奇襲上陸の時間らしいのです。こんなこと習ったかね…?
そしてそのマレー半島奇襲上陸の地が、ここコタバルらしい!えーー!厳密にはここから10kmのところに上陸し、1日後にコタバル市内を占領したそうです。はあーーーー。そんな街に知らずに偶然来て、そんな街の歴史博物館に偶然入ったのか。およそ偶然とは思えません。お前もう一回歴史やり直せや、っていうことですね。
博物館の中はパネルが主でしたが、日本軍の使った道具(武器はもちろん、飯ごうとか)なども展示されてました。やはり博物館なのでおおむね淡々とした論調だったのではないでしょうか。ヒトラー、ムッソリーニと並べられた日本の代表は当然昭和天皇で、「政治は東条に任せていて、自身の興味は政治より海洋生物にあった」的なことが書かれていた気がします。天皇陛下、関連する信仰(神道)を考慮しなくてよい、っていうのが海外の博物館の論調における最大の違いなのではないかと感じました。中の展示物はさすがに撮ってませんが、
外にはこのほか戦車とかももちろんおいてあります
イスラム教博物館
2リンギット。イスラム文化圏行くこともうたぶんないわと思って入りました。展示物だいぶ少ない。。。。
KFCすら閉まっている...!
数少ない華人系の店が開いてるんですが、華人系住民でごった返してる上英語が通じる気配もないので、ショッピングモールでドーナツとジュースで済ませました。モールのベンチで充電しながらメシ食ってると向かいのケータイ屋から青年が出てきたので「ここでWiFi使える?」と図々しくも聞いてみました。普通ないわとあしらわれるんですが、優しい青年、彼の店のWiFiをつなげてくれるではありませんか。しかも「ニホンジンデスカ?」...僕はね、こんな街で話しかけた青年が日本語しゃべれるなんて思ってもみませんでしたよ。びっくり。そうです、日本語お上手ですね、どうしてしゃべれるのと訊くと、マンガが大好きで頑張って勉強したらしい。ははあー、独学、、、しかも、マンガがきっかけで、、。日本のマンガ、おそるべしです。確かに言い回しが「コレガ、オレノ、WiFiダナ。」とか、ちょっとマンガっぽい。しばらくどうしてコタバルに来たのかとか、色々話をしました。好青年やった。同い年でテンション上がってた。
「ハラヘッタ?」
パンまでくれたぞ…。やっぱりめちゃくちゃ優しいなあ。日本にも是非行きたいらしいけど、ネットで「日本人はマレーシア人きらい」って読んだから不安なんやって。誰やそんなこと書くのは。いっぱい否定しておきました。
是非日本に来てね!と言って彼が仕事に戻ったので、僕もそろそろトゥンパトに移動します。荷物を受け取りバスの時間を聞くと「18:30まで来ない」は?でどのぐらいかかるの?「1時間15分ぐらい」
発車の19:30に間に合わへんやんけ!また経路変更かよ!
マレー鉄道のコタバルからの最寄りはトゥンパトではなく、一駅手前のワカバル駅なので、そこまでバスで行って、17:00頃の列車があるのでこれでトゥンパトに行くことに。ワカバルに行くバスは27番。これはたまたまなのか10分で来ました。

およそ30分か40分、ワカバルに到着
ちなみに長距離バスターミナルの方角なので、そこからなら歩けるかもしれません。「トゥンパトまで」「今から?」「おうよ」「18:00過ぎやな?」「は?17:00ちゃうん?」「今日はえらい遅れとんねん」いやー実にそれっぽくなってきました。クアラルンプール行き汽車当日満席、コタバル行きバス当日満席、午前中には本数あったトゥンパト行きバスは2時間以上ないし接続悪い、鉄道は1時間遅れ。日本の感覚ならとうにブチ切れてます。
トゥンパトまで列車で15分ぐらいの距離があるのですが、1リンギットでした。
きた
東海岸線では残っているというタブレットの授受、激写したろと思ったら思ったよりすごいスピードでやりやがってこんな感じになりました。停車駅なんやから停止位置でおとなしくやったらええのに。
ついた
マジで何もないです。海見に行ったら

なんか中洲みたいなのが邪魔でよく見えへんけどあれがタイランド湾にちがいない
みたいな感じやし。ここは国境に近く、向こうはタイのはずです。まあタイの深南部は国境問題で治安が悪い(レベル3)ので通るのはやめたんですが。ペナンのレジェンド旅人はネットがないので事情を知らずに普通に通過してこっちに渡ってきたらしいです。怖いものなしかよ。。。
それで肝心のブルートレインですがね、
これ
残りはこっち
ちょっとオレンジに塗られてロゴが入った以外はそのままなんですが、そのままというかもう野ざらし放置状態で特にA寝台の車両がもうどう見ても使える状態にありませんでした。今後この形で復帰するのは難しいんでしょうねえ。確かに韓国の車両の方が使い勝手よさそうですし気持ちもわかるんですが、日本で生まれて活躍したブルートレインが、東南アジアのはずれ街で4年もスコールに打たれてこんな最期を迎えているのかと思うと何も言う気が失せます。
一両だけなんでか屋内保管されてるけどね


気を取り直して少し歩くと
まだだいぶ明るいけどな...
もうこの感じで日の入り判定なんでしょうか、次々と屋台が立ち並び、待ってましたとばかりに人々が街へ繰り出しています。ラマダーンの街の夜、異様な熱気につつまれつつあってゾクゾクします。いやーこれ、コタバルで一泊したかった。。。ラマダーンのある街、こんな身近にあるんですね。また今度は友達とかと旅行に来てみたいものです。タイ東海岸から国境越えもしてみたい。

そうも言ってられないので列車に乗り込み、
定刻に発車。
さらばトゥンパト、さらばブルートレイン。
寝台はバタワース時点で売り切れてたので座席車
寒、、、、、、。冷房きっつ、、、、、。結構いっぱいで、おっちゃんとかに喋りかけられたりもします。まあそのぐらいの方が安心感あっていいけどね。

ばんごはんはワカバルの駅の近くの屋台で買っておいたミーゴレンですが、ビニールに入れていたにもかかわらず油が漏れて悲惨なことになったので写真は割愛です。味も、屋台飯は冷めたらキビシいものがある、って感じで。

先述の通り、延々ジャングルを疾走します。到着は明日の12:00頃。座席車でこれは長いっすよ…。重ね着して頑張るしかない。。。


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