はい。西欧第二部です。まだご覧になってない方は「西欧まとめ1/3」から見てください。
さて、パリのパリ北駅に着いたのが10/1の夕方でした。ちなみにベルギーから半日かかってますが、TGVの予約料20ユーロをケチらなければ一瞬で着いてます。ユーレイル持ってるのに追加20ユーロは高すぎますよね…
パリ北駅 |
パリはターミナル駅が街の中心を取り囲むようにいくつもあるパターンの街です。北駅はかなり大きな部類のターミナル駅だと思うんですが、駅前はだいぶしょうもなかったです。え、こんなもんか、みたいな。宿へ向かう地下鉄の路線はフランス国鉄運営だったんですがユーレイルは使えませんでした。昔は使えたみたいな情報もあったんですけどね。
で、ばんごはん。まさかバックパッカーがおフランス料理を頂くわけにもいきませんし、安くハラにたまるメシ、伝家の宝刀、そう、中華料理屋を探します。地図で見たわけでもないのにすぐ見つかる。すごいですね中国人のみなさんは。ほんと世界じゅうどこにでもいらっしゃる。
で、このあたりでは一食の価格としてとても安い5.5ユーロのセットを注文したんですがこれがすごかった。
まずは春巻き |
つづいてご飯と鶏肉 |
さいごにラップにくるまれたままの小さな餅 |
わかりますか、これがフランスなんですよ。どれだけ適当なメシを食おうと、前菜→メイン→デザートと順番に食べるんです。噂には聞いてたんですよね。フランス語圏の人々は、たとえ晩御飯が宅配ピザであろうと、まずスープを飲み、それからピザを開ける、と。餅のラップを剥がすことすらしない場末の格安中華屋でもそうなんやな、と軽く感動です。中華屋ってか、もはや中華の惣菜屋がレストランも兼ねてる、ぐらいの感じ。なので味は美味いんですけど料理の出し方とかはバリ適当なんですね。でも、順番で出す。僕が前菜食い終わるのを待っている。武士は食わねど高楊枝的なメンタリティを感じますね。
ところで皆さんはパリにどういう印象をお持ちでしょうか。よく聞かれるのが「気取った街」「気取った人々」みたいなイメージでしょうかね。でも「パリ症候群」なんて言葉もあるぐらいですよ。僕はパリの理想と現実の大きな差みたいなのを見れたらなと思ってパリに行きました。なんかこう、何か大きな期待を抱いて来たものの早々に夢破れて打ちひしがれている貧しい学生とかすんごい居るんやろな、と。京都も共通する部分ありますね。僕は京都の街にそこまで期待してなかったのでよかったですけど、やっぱり京都だっていろんな側面があるから、パリでもそういう側面がちょっとでも見れないものかしらと思っていたんですね。言いたいことが非常にとっ散らかっておりますが、要はこんな激安中華コースもそういう貧しい学生を支えているんじゃないかとか思いましたーみたいなことです。
さて、翌朝。実家から持ってきた謎のタダ券を使いに、まずはパリ北西30㎞の郊外に位置するオーヴェール=シュール=オワーズという村にある「ゴッホの家」に向かいます。絵画とかげーじゅつの類は全く分からんのですが、まあせっかくタダ券を遠路はるばる持ってきたことですし、ねえ。というわけで、
オーヴェール=シュール=オワーズ駅 |
なんか電車がダイヤ通りに動かず、予定よりだいぶ時間がかかってしまいました、。この時点ですでに10時半過ぎ。
「ゴッホの家」とそのタダ券 |
中には裏から入ります |
ここはゴッホが生涯過ごした家のうち唯一現存する建物にして、人生の最後に過ごした家なんだそうです。家というか、ここはラヴー旅館という旅館で、ゴッホはこの家の上階の一室を借りて暮らしていたわけなんですね。博物館や美術館ではなく、どちらかといえば記念館といった感じでした。
そもそもがここに来るまで知らなかったんですが、ゴッホはオランダ人、そして精神疾患持ちで、紆余曲折の末に療養のためにこの田舎にやってきて屋根裏部屋で絵を描いて、そして(真偽は定かではないものの)おそらく自殺でこの世を去ったのが37歳の若さ。偉大な芸術家と考えればまあそういうこともままあるかとは思うんですが、ゴッホにそういうイメージはあんまりなかったかな。。。ということで息を引き取ったのもこの家です。ガイドの方がついて詳しく説明してくださいました。ゴッホが過ごした(そして死んだ)建物がまるまる残ってるの地味にすごいですね。なんでこんなツウなとこのタダ券が実家にあったのか。。。タダ券古すぎて受付の人が戸惑ってたぞ…戸惑った挙句「こんな券知らんけど有効っぽいしどうぞ」みたいなことになったぞ…
ゴッホの家の見学の後は村を軽く歩き回ってみることに。村っていってももちろん近代化は進んでただのロードサイドの街並みになってますが、それでもちょっと歩けば
ゴッホの描いた教会 |
ゴッホの描いた麦畑
|
といった具合に絵になった風景が次々と現れるわけです。好きな人はたまんないでしょうねえ。好きでもないのに絵のパネルと実際の風景を見比べてテンションだいぶあがったぐらいやし。
そしてお昼過ぎ、この村を後にして、向かうはここから20kmほど東方向に進んだ、パリから言えば北40kmほどに位置する、シャンティイ。お分かりの方も多いでしょうか、
そう、
凱旋門賞。
言うまでもないですね、競馬の世界最高峰のレース[要出典]です。ベルギーで旅程を決めあぐねてる時にTwitter見てたら凱旋門賞という文言が目に飛び込んできて、「3日後!日本馬出るの!」とパリ行きを決めた次第なのでした。
ところが。乗り換えが全然うまくいきません。全然時刻表通りに来ない。朝からおかしかったんですがこれ、おそらく臨時ダイヤだったんだと思います。結果、乗り換えミスをおこし、北のはずれのとんでもない郊外に着き、田舎過ぎてどっちへ行く列車も夕方までなく、バスもどうやら全然ないようで詰み。出走時間は16時。せっかくこんな近くまで来たのに!
凱旋門賞は見れへんけどパリに帰れる電車が1時間ほど後にあったので、それまでダメ元で大通りっぽいところまで歩いて、親指立ててみることに。諦めきれない気持ちが僕を、異国での人生初ヒッチハイクへと駆り立てたというわけです。時間的にも30分でつかまらなければ諦めてパリに帰ると決めて、親指を立てること20分余り、ついに一台の車が止まってくれました!ありがたい!
「僕はこの町の人間だからシャンティイ方面には行ってあげられないんだけど、とりあえずそっち方面に行く道まで送っていってあげよう」
ありがとうございます!!!
こーれは…こーれはまた… |
ずいぶんとまたヒッチハイクにぴったりのロケーションやな…こんなカラオケの映像あるよな…
そして、これをもって後戻りができなくなりました。こうなったらなんとしてもどこかしらに連れてってくれる車を捕まえなければならない!!!
待つことわずかに10分足らず。白人と黒人が一人ずつ乗った、ボロの軽が止まってくれました。なんか若干怖い気もするけどビビっている場合ではない。
「シャンティイ!やけど無理ならクレルモンでもいいです!」(クレルモン:シャンティイの真北、ここまでたどり着けばシャンティイ15時半着の電車に乗れる)
「「クレルモンね、ええよ」」
キターーーーー
ボロの軽はハイウェイをぶっ飛ばします。気持ちいい。白人と黒人は陽気に二人で喋っているので気兼ねしません。
「「シャンティイ行きたいならクレルモンの先のクレイユ(シャンティイの隣駅)まで行くか」」
キタキターーーーーーーーーー
そしてわざわざハイウェイを降りて駅前まで積んでってくれた 右の青い車です本当にありがとう |
そして電車まで時間があったので腹ごしらえを済ませ(格安中華)、無事出走の30分前にシャンティイの駅に到着。この電車しかなかったから仕方がないものの、30分前とは競馬を見るにはなかなかギリギリ。走ります。
ダート1000m |
やがて芝。なぜこっちが走っているのか。 |
到着 |
最後はご丁寧にゲートをくぐって競馬場イン。注文の多い料理店みたいな。
ということで無事シャンティイ競馬場に到着です。普段、凱旋門賞はロンシャン競馬場という美しい競馬場で行われるんですが、今年と来年はリニューアルだかなんだかでここシャンティイ競馬場での開催なんだとか。競馬好きの友人には「シャンティイでの凱旋門賞はレア」と言ってもらいましたが、まあやっぱり贅沢を言えばロンシャンで見てみたかったっすよね、どうせなら。シャンティイ?沙田とちごて?ってなりました。さすがに沙田ではないです。シャンティイ競馬場に隣接したシャンティイ城というお城が美しくて有名なんですって。
あとからわかったんですが、横断しているこの芝は このあと実際にレースが行われるものです |
正面がシャンティイ城 |
とはいってもですね、そこはおフランス競馬。日本では競馬といえば呑んだくれたおっちゃんたちが競馬新聞まるめてバンバンしばいて、ゴールと同時に馬券放り投げるガラの悪いイメージもあると思いますが(近年では大幅に改善されてるようですよ!)、ヨーロッパをはじめとした諸外国では競馬というのはとっても優雅な娯楽なんです。富裕層なんかが着飾ってきてやってくるところです。いい席ではドレスコードまであるようで、社交場の側面をもちあわせているようですね。とても新鮮。もちろん僕が行くような最安の立見席は僕のような薄汚れたパーカージーンズジャパニーズ青年でも問題なく入れますけど、それでも入場料12ユーロぐらいとられましたからね。日本だと200円とかじゃないですか。その辺の差でしょうね。雰囲気の違いは。
ルメール |
わたくしが陣取ったのはここ |
マカヒキ |
レース前に目の前を出走馬たちが流して行きます。ちっか! |
ビジョンを撮るふりして撮ったった |
出走! |
頑張って肉眼ではレースを見ながらノールックで撮りました |
おうま心とパリの空 |
はい。マカヒキ、惨敗でした。せっかくおフランスに来たし隣のパリジャンみたいに静かに優雅に見とこうと思ってたんですけどね、いざ目の前を通る段になったらめっちゃ関西弁で「全っ然あかんやん!!!」と叫んでました。後からネットでみたら思っきしかかっちゃったみたいですね。普段はおとなしいらしいんですけど。おうま心は分かるようで分かりません。ほんでそんなん目の前来るまで分からんやん素人やし。全っ然あかんやん、やん。ちなみに馬券は時間なかったんで買ってませんでした。損せず済んだ済んだ。次はいつかガチで勝てそうな日本馬が現れた時に、ロンシャンで見てみたいですね。いつの日か。でもね、こういう日程が決まっているお祭りごととかって社会人になってから来るの難易度超高いらしいんですよね。老後かな。
さて、レースが終わった後はあまり何か面白いことがありそうでもなかったので、走って駅に帰ります。ダート1000、再び。何故か。この日は第一日曜日、パリでは第一日曜日は多くの美術館、博物館が入場無料になるんですよ。そこで調べたらどうもレース直後にシャンティイ駅からパリ北駅までノンストップの臨時列車があるらしいと判明。どうにかこうにか18時閉館までにルーヴルに滑り込めばモナリザ拝めるんちゃうか、と思ったわけです。どうせ1日では見終わらないと噂のルーヴル、どうせまたいつか来るに決まっています。なら今回は有名どころだけでも、、、モナリザだけでも、、、
という思惑です。しかし臨時列車、レース直後から歩きださないと間に合わないというパツパツダイヤ。
やーい負け組ー |
なんとか17時半に到着。おーー |
いちおう見てもしゃあないけどエントランスに入り |
ガラスのピラミッドから出ました。出入口なんや。 |
ということでモナリザ拝めず。また今度。こういうことをも見越し、この日は地下鉄の一日券を使って回ってたので、もう少しいろいろと回ってみます。
セーヌ |
ルーヴルなんとか駅。 |
街はずれに来ました |
遠くにトゥルー凱旋門が見えます |
新凱旋門の足元には芸術作品が多数あります。 このワイヤーが飛び回ってるのは日本人作でびっくりした |
作品名:親指 |
まあ夜景が拝めたからよしとしよう |
ということで盛りだくさんの一日でした。ゴッホの家に麦畑、ヒッチハイクして凱旋門賞、美術館二つに入り損なう、という。
で、翌日はおどろくほど普通にパリ市内観光。
ソルボンヌ大学 |
うわーソルボンヌやー、だけ言ってもちろん中には入らないんですけども、この大学前の広場のカフェで地味ーーな学生がぶあっっつい本を読んでて、ありがとうって思いました。(?)
そして大学まわり、カルチェ・ラタンと呼ばれる学生街を歩き回り、パリの学生の雰囲気を少しでも味わいたかったんですが…、わりと綺麗にまとまっているとこしか見つかりませんでした。夢破れて腐った若者たちの吹き溜まりはどこにあったんやろ…(我ながらほんとうのほんとうに趣味が悪い)
ノートルダム大聖堂 |
ノートルダム聖堂ってなんかこの辺にいっぱいあるんですよ。ブリュージュにもリールにもあったし。調べたらフランス語圏に幅広くあるらしいですね。カナダのケベックにまで。でもパリのノートルダム大聖堂は
さすがにとくべつデカい |
つづいて行ってみたかったシャンゼリゼ通り |
こんどこそ凱旋門 |
夜はですね、ネットで見つけたフランス料理が格安で味わえる庶民の食堂とやらへ。
いうて10ユーロぐらいはしたけど美味。 でもこんな料理、フランスの手にかからんでも美味いに決まってるか… |
完全に食堂の雰囲気。 相席は当たり前やし、チェコのビアホールに近い |
そしてエッフェル塔 |
翌朝。ついにTGVに。 |
フランスの農村地帯を走り抜け |
ルクセンブルク |
えー、ルクセンブルクは言わずと知れた経済指標の高い小国ですよね。あんまり具体的なイメージが湧かない小国ほど惹きつけられるものはありません。
街のまんなかを深い谷と川が貫流する |
谷の向こうに美しい鉄道橋、その奥にはビル群 |
要塞跡 |
世界遺産に登録された美しい景観。天気が惜しい |
クレーンがなあ… |
歩いてて楽しい街です。奥に入って行ってみたくなる |
という感じ。だいぶ早い時間の便できて昼過ぎまでにルクセンブルク市の観光はおおむね終了。ノートルダム聖堂(ルクセンブルクの)とかも行きましたけどもね、もう教会は違いわかんないです。
ルクセンブルクは首都もルクセンブルクでめっちゃ小さい小国と思われがちですが、国土はそれなりにあります。しかも山がち。昼過ぎからは北部の小さな町に電車で移動したんですけども、一時間かかりました。ルクセンブルク、国内移動でちゃんと一時間かかります。
クレルヴォー駅 |
…。
しかも中には入れなかった。しょうもない………。
あとこの城の後ろの山の上の修道院とやらも観光できるということで軽く山登りしたんですが、小さくて簡素な修道院でした。まあ本来装飾ギラギラな教会とかの方がどうなんって話のような気もします。
電車でルクセンブルク市に戻り、電車でドイツのコブレンツという町へ抜け、夜行列車(に併結の昼行扱い客車インターシティ)でミュンヘンへ。ルクセンブルクには安宿の類はないようなので、バックパッカーの皆さまはご注意を。
せっかくミュンヘンに着きましたが、ミュンヘンのオクトーバーフェストは終わった直後でした。ちょっと雰囲気をのぞいてみたかったとは思いますが、まあビールそこまで好きでもないのでミュンヘンは無視してそのままオーストリア中部のインスブルックへ抜け、アールベルクラインという景勝路線で西へ抜けます。オーストリア、3度目の入国。
まあまあ、ですかね。そもそもアールベルクラインが景勝路線だなんてことはユーレイルの公式HP以外のどこにも書いてないので、わざわざ乗りに行くほどでもなかった感じです。まあわざわざ乗りに行ったわけでもないんですけど。目的は、この列車がスイスに入国する直前に通る小国、リヒテンシュタイン。国旗に王冠が描かれている、二重内陸国、ぐらいの比較的どうでもいい印象しかない小さな国ですが、イメージが湧かない小国ほど…、。
お昼にスイスのブフスに到着。いよいよスイス突入なわけなんですが、
ドリンク一本3.5フラン |
さてそんなスイスに入国したのも束の間、特急でいま来た線路を鈍行で引き返します。特急はリヒテンシュタイン国内の駅をすべて通過しますんでね。どんだけ立場低いねん、、。
リヒテンシュタイン横断鉄道 |
ブフスからわずか3分で到着 |
シャーン・ファドゥーツ駅前 |
そしてこの国の中心駅(ただし一面一線、電車はめったに来ない)から、首都ファドゥーツの中心部までは4~5km歩かなければなりません。リヒテンシュタインの主要な公共交通はバスのようですが、別にバスには興味がないし、ほぼスイスの保護国のような様相を呈しているためスイスフラン圏のリヒテンシュタインでは、物価がスイスと同じです。節約せねば。
駅前の観光案内所のおばちゃんが17時までならタダで荷物置かせてくれるというのでそうさせていただき、歩き歩いてファドゥーツ散歩です。
沿道もきれいねえ |
リヒテンシュタインの飛び出し坊や |
ファドゥーツ城 |
城近くから見おろすファドゥーツ市街 |
小さな国に小さな首都です。よくルクセンブルクとセットにして覚えますが、ルクセンブルクよりははるかに小さく穏やかな国です。でもちょっと前に話題になったタックスヘイブンの一つで、Wikipediaにはしれっと「人口より法人企業数の方が多いといわれる」と書かれてます。とんでもないことのように思えますが。
観光地化もたいしてされておらず、観光業は主要な産業ながら国の規模が知れてるので観光業の規模も知れてる感じです。そんなリヒテンシュタインの伝統的な産業の一つとして「切手」が挙げられます。僕は以前趣味で太平洋に浮かぶちっちゃい島国のWikipediaとかを読み漁ってたことがあるんですけど、彼ら、一応国であることをいいことに記念切手発行したりドメイン売ったりしてて、それら産業が主要産業に数えられてるんですよね。リヒテンシュタインもそのようです。切手博物館(入場無料)に入ってみることに。
郵便ラッパ |
この右側が全部切手が飾られた引き出し |
シャーンファドゥーツ駅にもどる |
国境の川を渡り再びスイスへ |
夕刻には大都市チューリヒに到着 |
一応散歩をする |
でも日本人の僕はスイス物価たっかと超思っているので、ばんごはんすら決めあぐねます。だってバーガーキングの普通のワッパーセットが1,500円以上する世界よ?
ばんごはん |
1フランの黒ワッサンも食べた |
そして写真をご覧の通り、また駅に居ますね。写っている電車が今夜のお宿です。スイスの安宿、あるにはあるんですけど40フランとかするんですよ。日本のビジホのシングルでももっと安いのありますよ。そこでウルトラC技を使います。例の予約料がかからないドイツ国鉄夜行インターシティ、チューリヒ発着便もあるんですね。これに乗ってフランクフルトで降りるとAM1時。1時間耐えて
2時にはチューリヒ行きが入線するので乗り込んで寝る。これで睡眠時間は合計7時間以上確保できます。しかもタダ。すいてれば横にもなれる。移動中に時刻表アプリと長い時間にらめっこしてたからこそ生み出せた技ですね。我ながらあっぱれ。
翌朝再びのチューリヒから南下、クールという駅へ |
おもっきし「UNESCO」と主張しながら走るようである |
大きな窓からアルプスを |
列車は南へ、山を登ってゆきます |
おおアルプスよ |
途中、サンモリッツ駅に到着。 |
お昼過ぎからは後半部分へ |
いつの間にか貨物がつながっている |
氷河! |
このあたりで最高地点2253mを通過、あとは南へ抜けるべく下ってゆきます。そしてクライマックス、
美しいループ |
ありがとうございました |
終点ティラノ駅 |
ティラノ駅は国境を越えて最初の駅です。イタリア。これにて夢のスイス登山鉄道、終了です。小さい頃からの夢の一つだったので、たった一路線ですけど乗れてたいへん楽しかったです。あああああ。よかったー。またお金がじゅうぶん出来たら、じっくり満喫しに来たいものです。スイスがこれからもこのまま平和であり続けますように。
イタリアに入りましたが、夜行列車で南へ抜けてしまい、上がってくるプランで行きます。ティラノからの列車はミラノに着きましたがミラノでは夜行列車の予約(3ユーロ)を済ませたのみで、夜行列車が通るジェノバに抜けてしまいます。
ジェノバです。ジェノバ。僕がケープタウンでずーーーっと何食べてたか覚えてますか?大好物のジェノベーゼパスタですよ。イタリア料理大好きやし、特にジェノベーゼが大好きなんです。そこで夜行列車までの間にジェノバでジェノベーゼ探し。
ところが時間が少し遅く(といっても8時とか)、あんまりお店が開いてません。ヨーロッパの人はほんとにビジネスアワーが短い。ケバブがここまで普及してるのはトルコ人が夜遅くまで働くからってのもめちゃめちゃ大きいんやろなと思いますね。
ピッツェリアで教えてもらった路地の食堂に入ります。
感動した |
あのですね、めちゃめちゃ美味いというわけではないんですよ。イタリアというのはだいたいそんな感じらしくて、ネットではめっちゃくちゃ美味いイタリアンなら日本で食ったほうがありつける確率高い、みたいな論調なんですが、これビール込みで5ユーロなんですよ。で、注文して2分ぐらいで出てきたんですよ。パスタなんでまあ二度茹でということだと思うんですけど。ほんでちゃんと美味しい。これはね、吉野家です。吉野家。牛丼の。
日本に牛丼という最高のファストフードがあるように、イタリアにもイタリアの安い・はやい・うまいがこんな最高の形で存在するんやな、と感動いたしたわけです。
こうしていよいよイタリア食いだおれの旅が幕を開けました。夜行列車の行く先は、まとめ3/3につづく…。
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