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ホームへ向かう階段の近未来感エグい |
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Yeah |
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かの有名なアムトラック |
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いよいよ乗り込みます! |
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グリーン車か! |
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車体の幅もシートピッチもめちゃくちゃ広い、最高や... |
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いざ大陸横断!さらばマンハッタン! |
なんと!Wi-Fiがついてました。豪華〜。キューバにもロブ宅にもWi-Fiがなかったんで、二週間分ぐらいのTwitter遡ったりして、夜もコトンと寝ました。
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翌朝 |
シカゴに到着です。起きて時計見て、1時間近くも遅れてやっぱりアメリカの鉄道は適当なんやなと思ってたんですけど時差でした。定刻でした。
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おりたとこです |
なにこのダブルデッカー!サイズ感がすごいわこの国。乗り換えで4時間あるのでシカゴ街歩きです。
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シカゴといえばやはりこの整然としたビル群の街と
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高架鉄道ですねえ |
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たまたまこの二つが共存してた画がこちら
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鉄道と摩天楼の街感いいですねえ |
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五大湖・ミシガン湖に面してもいるのだ |
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変すぎるオブジェ |
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スカイトレインの駅構内、大都市と思えない雰囲気が好き |
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マクドナルド1号店らしい
現在は「ロックンロール・マクドナルド」として名所に。よくわからん |
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スカイトレインですね |
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すっごい好きなタイプの前面展望 |
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ビルが雲にぶっ刺さってるのも好き |
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シカゴピザとカブス記念ペプシコーラ |
シカゴのピザは超ぶ厚スタイルです。名物調べてもこんなものぐらいでしたけどなんかコーラもあってシカゴっぽい気分になって非常に良かったですね。
はい。4時間なのでこの辺でお時間でした。短時間でかいつまんで街楽しむのは本当に上手くなりましたね。

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超有名特急カリフォルニア・ゼファーの文字に感動 |
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さっきの文字どおり2階建車両は米中部を疾走する
(画像はもちろんサロンカーであって座席ではない)
(あとWi-Fiも飛んでない) |
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平原。穀倉地帯。 |
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車内の売店。最安メシはマルちゃんのカップヌードル |
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日没が幻想的 |
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翌朝日の出とともにロッキー麓の大都市デンヴァーに到着 |
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もしかして標高高すぎて気圧差で打球が伸びることで有名な
ロッキーズの本拠地???? |
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デンヴァーで方向転換。最後尾に。 |
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車窓は一気にロッキー山脈へ |
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標高を上げる |
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雪化粧 |
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冬のロッキーもええもんすな |
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一回ぐらいはと思って食った食堂車のランチ |
値段の割に、んー、まあまあ。。。
カリフォルニアゼファーを乗り通すような旅行客は普通寝台に乗ると思うんですけど、寝台は10万ぐらいするのでブルジョワジーなんですよね。座席車の客は寝台車に入れてもくれない格差社会っぷりで、座席車と寝台車の間にある食堂車は格差浮き彫りカーなわけですよ。残酷でした。
でも向かいに座ってたアメリカ人は昔広島で教師をやってたことがあると言い、いっぱい日本語を喋ってくれました。ボロボロのパーカーとジーンズを着てる日本人に優しく喋りかけまくってくれるのは嬉しかったですねえ。
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冬のロッキー感 |
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やけにワイルドなトンネル |
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パノラマ窓がありがたい |
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翌朝。ロッキー抜けつつある |
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サクラメント |
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湿地? |
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牛? |
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そして広大な湾 |
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到着!!! |
という夢の大陸横断鉄道でした。自由席で乗車率50%ぐらいやったんでほとんどの区間で隣が空いててめちゃめちゃ寝やすかったです。そもそも広く作ってあるし。
ところで。正確には着いたのはサンフランシスコではなくて、サンフランシスコから海(内湾)をはさんだ東側対岸、エミリービルという駅です。ここからサンフランシスコ中心街までは連絡バスがあるんですが、これもチケットに含まれてます。いざ。
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橋を渡ってサンフランシスコへ |
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わーカリフォルニア! |
さっき書いた「会う約束がある人」と合流しました。
3回生の終わりまで働いてたバイト先の店長です。僕より15コぐらい上のバイタリティあふれる男性で、バイト時代は本当にたくさん面倒を見てくれ、僕が休学して世界出ようかと考えてる時も背中を押してくれた人です。その店長自身もお仕事を辞めてサンフランシスコで働き始めてたんですよね。
僕は世界一周、やってみてどうでしたよ、こうでしたよという総括をする意味もこめて、長旅のゴールにサンフランシスコを設定してました。
やってみてどうでしたよ...の部分はブログでは本文最後にちょっと触れてみようかなと思うのでここでは割愛。
日本にいた時とちょっと変わった店長と、日本にいた時とちょっと変わった僕が無事合流。店長のサンフランシスコでのお知り合いの方などともお話ししたり、お宅にお邪魔したりご飯をごちそうになったりしました。


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翌朝は店長とサンフランシスコ観光 |
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チャイナタウン |
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観光地フィッシャーマンズワーフ |
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なんといってもケーブルカー!!! |
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アメリカではポピュラーというクセの強いIPAビールを始めて飲み |
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なぜかギリシャ料理を食べ。 |
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海へ下る線路が良すぎる |
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ついに乗車 |
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操縦桿 |
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正直、 |
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超テンション上がった |
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地下鉄に乗れば |
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これは |
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ハンガリーとかでも見ましたね |
そして、翌朝・・・!
空港へ・・・!!!
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空港内がすごかった |
ちょうどトランプ大統領がメキシコとの国境に壁を作る法案にサインした時。かつ、カリフォルニア州は移民が多い土地柄で、サンフランシスコ国際空港はデモでえらいことになってました。
でもなんか日本でデモって言ってイメージするようなあぶない雰囲気はほとんどなくて、アメリカの"意思表示するという文化"を感じさせるものでしたね。僕は都合で朝から晩までこの空港にいたんですけど、マジで一日中やってました。マジで。ものすごい人数ですからね。
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エスカレーターは占拠されて止まっている |
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到着側(1階) |
デモ参加者にフリーの食べ物が用意されているし、
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出発側(2階) |
次々とプラカードが制作されていて、一般の人々をどんどん巻き込んでいく様子が伺えるのがすごい。現代日本ではおよそ考えられない。主張という行為自体が日本と比べもんにならんくらい砕けた行為なんでしょうねえ。
この熱気よ。何もない日のはずが、世界がうねっている現場に立ち会い続けた一日になりました。
そして1/30。0:05。離陸。
チャイナエアライン。台北経由、
関西国際空港行き。
ああ...終わる...

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機内誌 |
ああじわじわとにっぽんが近づく...
日付変更線をまたいで1/31、早朝。(1/30、僕は地上に5分しかいなかったことになる)
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台湾に上陸 |
・・・・・・・・・・・・・
想像以上に日本。。。空港連絡バスの車体に完全に「キャベジン」って書いてるやんけ。
台北でトランジットが10時間あるので台北観光といきます。しかしすでにちょっと後悔。親日国とは聞いてましたけどここまで日本みがあふれてるとは。。。
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道中 |
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すき家 |
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街中 |
うまく撮れなかったですけど、すき家どころか赤からとかもあってもう半分日本のような。
しかもこの日は旧正月。
街がガラガラ。
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とりあえず美味そうな屋台で朝飯 |
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駅 |
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もう日本やんけ |
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いやこれ、え?え?ここまで日本なことある? |
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国立博物館(の前だけ) |
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二二八和平公園 |
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公園とビル群 |
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中華民国総統府 |
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剥皮寮歴史街区 |
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いちおう賑やかな界隈もある |
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龍山寺 |
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ここは正月なので盛り上がっている |
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日本の寺みたいやけど
鯉が天向いて水噴きまくったりしているのが日本のと違う雰囲気 |
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アジアの飯はやはり安くてうまい |
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中央広場 |
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いいねえ |
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本堂 |
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おおお、台湾! |
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台北101は遠くの雨雲に霞んでいた |
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雑多でいい |
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やっぱし小籠包食わなな |
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駅に花嫁のれんの広告 |
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電光の感じとかがめっちゃ日本 |
というわけで、やっぱり短い間で街を掻い摘んで楽しむのが上手くはなったと思うんですけど、そもそもちょっと日本すぎた...。台湾たぶん好きなんですけど、どうせ後から来るなら今回はプラス一万数千円で日本直行便とるのもアリやったかもしれんな、と思ってみたり。
台湾は初海外の人にオススメですね。日本語が町中に書いてあるし、人にもよく通じるし、治安情報を調べて軒並み「安全です」なんか出てくる国はなかなかない。また行きます。
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ああ...「大阪/関西」と書いてある... |
そして...
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関西国際空港 到着口 |
こうしてあっけなく幕を閉じたのでした。
特に、日本に入国する最後の入国審査。「はーいおかえりなさい」(パスポートチラッ)(スタンプバーン)、みたいな。いままであんなに難関やったのに最後はあっけないもんですね。
空港にはサークルの先輩後輩が迎えにきてくれてました。ありがた...。朝まで鳥貴族で飲んで、
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明け方の十三東口 |
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十三から望む、朝焼けの大阪梅田摩天楼 |
世界のどんな大都市にも胸を張って自慢できる光景ですよ。9ヶ月前、出発前夜に居た街に帰ってきました。
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落涙モノの吉牛。ほんとうにおいしい...
真髄や... |
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そして京都・出町柳の鴨川デルタ |
京都に帰りました。これにて僕の9ヶ月にわたる世界一周旅、完全に終了。
はい。
帰国後は「どこ行ってたん?」「どんぐらい行ってたん?」「いくらぐらいかかったん?」など、質問されることが多いので締めとして軽くまとめておきます。
「どんぐらい行ってたん?」:9ヶ月ちょっと(2016/04/27〜2017/01/31)
「どこ行ってたん?」:54ヶ国(※日本が承認している国家の数)
中国、(香港、)ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポール、インド、アラブ首長国連邦、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、南アフリカ、(未入国のエジプト、)ギリシャ、ブルガリア、マケドニア、コソボ、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、ハンガリー、スロバキア、オーストリア、チェコ、ポーランド、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン、スイス、イタリア、バチカン市国、サンマリノ、モナコ、スペイン、ポルトガル、モロッコ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、チリ、ペルー、エクアドル、コロンビア、(未入国のベネズエラ、)パナマ、(オランダ領キュラソー、)トリニダード・トバゴ、アメリカ合衆国、キューバ(、台湾) (初入国の順)
「いくらぐらいかかったん?」:約150万円
「どこが一番良かった?」:キューバ
(ま、他にも気に入った国はたくさんありましたけどね。一個に絞らされることが多いので決めちゃいました。)
「いっちばん怖かった体験は?」:南アフリカでの路上強盗
(その時の記事)
「何か変わった?」:そりゃね。
ベタですけどやっぱり、凝り固まってた考え方をだいぶ壊せたかなと思います。もちろんいろんな国のいろんな文化に触れて、その国の人々と頑張って喋って意思疎通して、っていうのも刺激でしたけど、それと同じくらいかそれ以上に"海外にいる日本人"に刺激を受けた部分が大きかったですね。日本語だと深いコミュニケーションがとれるし、同じ国で生まれて同じような環境で育った人が想像もつかない人生を歩んでいるのを目の当たりにしたりすると、それはもう質問責めにしてみたくなるわけですよ。京大で過ごして適当に就活してそれなりに頑張って生きていくだけでは出会えない(であろう)類の方々とお話できたことがよかったですわ。月並みですけど。
今回の記事では旅の終わりを目の前にした時どんな感情になったか、とかも散りばめるつもりやったんですけど、気づいたら終わってました。京都でした。いつものデルタに居ました。一個だけしょうもないエピソードを付け加えて終わりにします。
旅のゴールのサンフランシスコに着く直前、大陸横断鉄道を降りてバスで海峡を渡ったじゃないですか。あの橋を渡ってるときの記憶がなんか忘れられないんですよ。
この旅中、ネットが繋がらない状態での移動時間がすごい長かったんですよね。本読んだりダウンロードしといた情報を読んだりしてたんですけど、間が持たない上に乗り物酔いするじゃないですか。そこで南米あたりで見つけ出した移動時間の潰し方が、ラジオの音声をダウンロードしておいて聴くっていうやつです。
この時は吉田拓郎と坂崎幸之助のオールナイトニッポンGOLDの最終回の音声を聞いてて、同番組の過去の名場面を振り返るコーナーをやってたんですね。名場面1位が竹内まりやの回で、その橋を渡ってるときにちょうど聞こえてきたのが竹内まりやが番組内でカバーした「どうしてこんなに悲しいんだろう」(吉田拓郎)だったんですよ。この曲、知ってはいましたけど、世界一周も終わろうかというこのタイミングで偶然で聴いた時の感動たるや。
--やっと一人になれたからって 涙が出たんじゃ困るのサ
やっぱり僕は人に揉まれて 皆の中で生きるのサ--
っていう歌詞があるんですけど、ああこの通りやな俺は、と思わされました。世界をまわっても、結局最後に大切なことを教えてくれるのはやっぱり吉田拓郎、と、こういう話。ぜひ聴いてみてください。名曲です。
多くの日本人バックパッカーとお話していると、たまに「この人は一生この放浪生活を楽しめるんやろな」っていう天性というかホンモノって感じの人に出会います。でも大多数はやっぱり旅の途中からダレるんですよね。刺激に心がマヒしてくる感じで。
僕のブログをずっと追っていた稀有な方々はお分かりでしょうが僕も完全にソレです。きっかけがあったとはいえブログも毎日更新じゃなくなったし...。ダレてからも楽しいんですけどね。非日常がまだ非日常であるうちの方がだいぶ楽しめるタイプやなと感じました。僕は。ホンモノにはなれへんかった。
そもそも僕が日本を飛び出すように出国したのは自分がこのままではアカンなと思ったからであって、もともと人に揉まれて生きるのも好きなんですよ。であるならば、また日本に帰って人に揉まれて生きて行こうかね、と、この歌をこのタイミングで聴いて思いました。思うことができました。
言うまでもなく、この9ヶ月は自分にとって忘れられないものになりましたし、良かったことも悪かったことも何もかもが、このしょうもない人生の中では本当にかけがえのない出来事です。なので、長期旅行をしたことも、帰国してまず普通に就職するという決断をしたことも、どちらもすごく前向きに捉えてます。自分の考えつく最善手やったと思います。
言ってしまえば僕は次の4月からマジで、普通ぅーーーに、就職します。親にこの旅の資金も返さなはじまらへんし...
ですが、どこに就職してどんなキャリアを歩もうが、一度きりの人生、自分の思い通りに、面白く生きていきたいという思いを強くしております。恥ずかしながらこの旅の間じゅう僕がしょっちゅう聴いていた言わばテーマ曲が「1000のバイオリン」(THE BLUE HEARTS)なんですが、これからも"面白いことをたくさんしたい"を標語みたいにいつも意識して暮らして行きたいもんですね。
この指針が手に入ったことが、最大の収穫かもしれません。
最後になりましたが、こんな好き勝手やってる僕を応援してくれた、まず両親、親族の方々、それから友達、先輩後輩、そしてこのブログをご愛顧いただいていた全ての皆様!
本当に!
ありがとうございました!
支えていただいて感謝しかありません。
またどこかでお会いしましょうさようなら!
2017年末
ぺち